2009年07月24日

ひさびさ、「わになつノート」

ひさびさ、「わになつノート」

兄弟姉妹のこと(その1)


《いろはかるた》 
≪き≫ 兄弟姉妹には、心配よりも信頼を

就学相談会で、必ず出される心配の一つに、
「兄弟の問題」があります。

「兄弟の問題」と書きましたが、
本当は「兄弟」の問題ではありません。

障害をもつふつうの子どもの兄や妹が、
その子をいじめるとか、「同じ小学校に通うのを嫌がる」とか、
そうした「問題」ではありませんでした。

そこで言われる心配は、この20年、
判で押したように同じものでした。
「障害児が同じ学校に入学したら、
その兄弟がいじめられたり、
嫌な思いをするんじゃないか…」

現実にそういう問題が起きた、という話ではなく、
「もし、この子が入学したら…」という
「仮定」の話というか、「妄想」の話です。

現実に、私が聞いてきた兄弟姉妹の話は、
すべてその逆でした。

私がこの25年あまりの間に、出会ってきた
「障害児の兄弟姉妹」の子どもたちは、みんな、
そんな心配をする大人よりもずっとずっと「おとな」で、
そしてわたしがもっとも尊敬できる子どもたちでした。

たか坊、ひろし、りょう、あきこちゃん、のんちゃん、
ちえちゃん、さくら、だいご…、
出会ってきた「兄弟姉妹」である子どもたちは、
本当に私などとは比べようのない、
にんげんを大事にできる感性をもった素敵な子どもたちでした。
私が、いま、にんげんを信頼し続ける根拠は、
彼らと出会えたからでもあります。

「苦労」がない、のではありません。

兄弟に障害や病気があることで、
親の手も時間も圧倒的に兄弟にとられることで、
子どもが感じる苦労は、はかりしれないほどあります。
(このテーマは、一人一人の顔を思い浮かべるとき、
書かなければならないことが多すぎるようです。
兄弟の障害のこと、その障害への社会の
偏見と差別のエピソード、その時の親の姿勢、
そこで兄弟の生きていたポジションとエピソード、
それぞれが大人になってから語ってくれること。など)

でも、ひとつ、確実に言えることは、
「障害のあるふつうの子ども」が、ふつうの子どもであり、
友だちと一緒にふつうの子ども時代を過ごしたいと
願うことが当たり前のことで、
親もその願いは当り前のことだと感じるように、
「兄弟」にとっても、
それはあまりに当たり前のことだということです。

だから、その兄弟に対して、もっとも失礼なことは、
親が「兄弟の心配」を、
違う道を選ぶ口実にすることだと思います。

そのとき、「障害のあるふつうの子ども」の一番の壁は、
差別的な社会でもなく、
障害児を排除する学校でもなく、
「兄弟である自分」だということになるからです。

「自分がいたから、障害のある兄弟は、
普通学級で、ふつうの子ども時代を送ることができなかった」

そんな思いをさせることが、
兄弟をもっとも傷つけることになるのだと、私は思います。

少なくとも、私が出会ってきた「兄弟姉妹の子ども」たちは、
みんなそうでした。
障害があってもこの子はふつうの子どもであり、
地域の普通学級で、みんなと一緒に子ども時代を
すごすのが当たり前だと、信じている「親」と
一緒に暮らしている「兄弟姉妹の子ども」たちは、
みんなそうでした。

「障害のあるふつうの子ども」という言葉の意味を、
この世でもっともよく知って、感じて、分かっているのは、
私のような人間ではなく、親でもなく、
「障害のあるふつうの子ども」本人と、
そして「兄弟姉妹」だと、私は思います。


  ☆    ☆    ☆ 


【入学式:脳性まひ障害児・住谷栞音ちゃん、
熊本市内の小学校で新生活スタート /熊本】

◇学校に早く慣れてね

熊本市内の市立小学校で10日、
約6500人の新1年生が入学式を迎えた。
同市長嶺東の託麻南小では、
脳性まひの障害がある住谷栞音(しのん)さん(6)が
同級生158人と共に新しい学校生活を始めた。

脳性まひの障害がある子どもは養護学校に進む場合が多いが、
姉の乃杏(のあ)さん(8)の
「一緒に通えないの? どうして駄目なのか分からないよ」
という素朴な疑問から、
両親と学校が教育委員会と協議を重ねてきた。

同校には特別支援学級が2クラスある。
今回、栞音さんの入る1年2組の隣に
「たんぽぽ学級」が新たに作られ、
看護師が学級支援員として派遣されるなど
一定の受け入れ態勢が整った。

川野富士夫校長は式で
「一人一人顔が違うように成長の様子も違います。
違っていて当たり前だと、気づいて仲良く
助け合って過ごして下さい」と新入生に呼びかけた。

父親の裕司さん(35)は
「受け入れる側には不安もあるだろう。
すべてが他の子と同じようにはいかないが、
少しずつ学校生活に慣れていってほしい」と話した。

【結城かほる】

毎日新聞 2009年4月11日 地方版


我が姉たち、coco&nanaは、ワタシの生き方を応援してくれている。養護学校や障害児学級や作業所に行かせないでほしいとmamaにいう。

mamaは、お姉ちゃんたちに言う。
地球上には障害をもって生まれてくる子どもが何パーセントは絶対にいるわけで、その子が我が家にらびちゃんとして生まれてきた。でもね、それはもしかしたら、cocoちゃんだったかもしれないしnanaちゃんだったかもしれない、たまたま、らびちゃんだったのよねえ~ウトウト

mamaはいつも思っている、障害を持たないで生きている姉たちcoco&nanaと障害を持つらびちゃんでは高校教育(後期中等教育)を受けるために差別があると・・・・・。その結果、らびちゃんの将来の夢への道はただ今停滞中であると。。。

早く、すすんでおくれ~右






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