2011年09月27日
追憶~2006年03月06日 の日記

今から5年半前のブログ・・・・
~2006年03月06日00:38 のブログ~
「たくろう」はすごい!!2006年03月06日00:38
先日、3月発行の我が会の会報の表紙を飾る(?)歌を探しにビデオ100に行った。本当は、ゆずの「命果てるまで」にしようと思ってこの歌が入っているCDを借りたんだけれど、ついでに、大好きな吉田拓郎の2枚組ライブのCDも借りた。
2000年6月に大阪から、NHK教育でご活躍の牧口一二さんをお呼びして、我が会で「ちがうことこそ ええこっちゃ」のテーマで講演会をしたことがある。用事で、天然クッキーちゃんの車に乗った時、私がそのころよく聞いていた吉田拓郎の曲が流れていたのにはビックリした。彼女と私は5歳も違うのに、同じ歌をいまだに聴いているとは・・・。我が同志、テーマソングも一緒なのか
、なんせ、血液型も、星座も一緒だった、と知り合って10年たった今頃、お互い知ったというから、なにおかいわんである。。。
こんな私たちだから、香川県でこんなことを10年以上もやっているのか!でも、どうもこういう活動というのは、10年でやっ
と一人前になり、世の中に認められるようになるのかもしれないと楽観的な事を考えている。
で、この年になって、ワタシ的には拓郎の新しい曲(?)を発掘して、朝からその歌を聴き涙したのであった。吉田拓郎は広島県出身である。
吉田町の唄 作詞・作曲・編曲:吉田拓郎
http://www.youtube.com/watch?v=6QscAW6QsaU&NR=1
昔 その人は 赤子を抱いて いつか故郷を拓けと願い
「父を越えて行け」と 名前を さずけた
母は影のように たたずみながら すこやかであれと 涙を流す
のびやかに しなやかに 育てよ 子供
やがて 大地 踏みしめ 太陽になれ
祖母に手をひかれ 海辺を歩く はるか遠い国へ
胸をおどらせ 風がほほを過ぎて 7才の夏の日
姉の唄う声は 小鳥のようで 心ときめいて 足を
はやめる
のびやかに しなやかに 育てよ 子供
やがて 大地 踏みしめ 太陽になれ
兄の進む道は たくましそうで あこがれのように
まぶしく写る
「強くなれたらいい」 12才の秋の日
友と汗をふき 山に登れば たぎる想いゆれて 命とおとし
時は川の流れ 19才の冬の日
あの日その人は やさしく笑い 母の手をにぎり
旅に出かけた
おだやかに やすらかに 眠れと いのる
やがて 雪を とかして せせらぎになれ
いくど春が来て あの日をたどる この名も故郷も静かに生きる
雲が空に浮かび 人の顔になる
昔その人が 愛した場所に 若い緑たちが 芽をふきはじめ
のびやかに しなやかに 育てよ 子供
やがて 大地 踏みしめ 太陽になれ
のびやかに しなやかに 育てよ 子供
やがて 大地 踏みしめ 太陽になれ
そうだ、どんな子どもも、「のびやかに、しなやかに 育てよ」である。子どもたちよ!おばちゃん達の無力を許しておくれ。
「祖母に手をひかれ・・・7才の夏の日」の祖母は義理ママで、
「姉が唄う声は 小鳥の・・・」の姉はnanaで、
「兄の進む道は・・・12才の秋の日」の兄はcoco
そして、子供はらびである。
~我が家の遠い風景であり、そして、これからの風景か!?~
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コメント
dodo2006年03月06日 11:18
泣かしてくれるなぁ・・たくろう。らびmama。
姫たちの存在は、たしかにわたしをかえてくれました。
力足らずでなにもできないおとなで、ごめんよ。
天然クッキー2006年03月06日 15:39
「唇をかみしめて」知ってますか?広島べんの歌です。
『 えーかげんなやつじゃけー、ほっといてくれんさい。・・・・人が好きじゃけん、裁くも裁かんも・・空に任したんよー』
融通の利かなさ、世の中にあわしきれない、でも人が好きで、・・・
この歌が好きです。
いま、会報の原稿を用意しています。今年度最後の挑戦状のつもりです。
らびmama2006年03月07日 06:26
コメント、ありがとうネ!!
「広島育ち」が拓郎を一流にしている気がしてきました。原爆が落とされた、軍都。
愛媛育ちの大江健三郎に障害のある光ちゃんが生まれたとき、彼は広島に行った事をご存じですか?
今から7年前、私たち家族は、近くのM高校をnanaが受験して不合格になった春休みに、広島に一泊旅行をした。広島の平和公園に行った。歴史は私たちに何かを伝えてくれる。
cocoは、小学校6年になる1月に阪神大震災があったので、修学旅行は広島だった。nanaはこんな事(高校受験不合格)でもなければ、若いときに広島に来ることは(それも家族で)なかっただろう。らびは小学4年生(10歳)、coco高専1年(16歳)、nana中学校卒業(15歳)の年だった。
今思うと、らびpapaがなぜ広島を選んだのかサダカではないが、私にとってはnanaにとって「この広島」が持つ意味は人生にとって深いのである。親が残してやれた「nanaの広島」なのである。
nanaは公立の高校に落ちた(親の計画的犯行?)が、自分が通った私立の母校が大好きである。良い先生や友達にいっぱい巡り会っている。そういえば、先週帰省したときに、3年間担任だった先生がめでたくご結婚されたそうだ。卒業するときに、わたしは独身の彼(お付き合いしているお方がいらっしゃったとかで)に「しろいうさぎとくろいうさぎ」の絵本をプレゼントした。私の趣味は、お世話になった教師に絵本をプレゼントすることである。
我が家の姉たちは、公立の高校に通っていない。ある意味、通わさないように、母が仕組んだ(?)高校の合格率の不思議をしっているかしら。ワタクシは自分たちが血を流さないで闘うつもりはございません。
もう、そろそろ香川県の高校改革は実行にうつせる時期にきたかしら。。。
らびmama2006年03月07日 06:44
「広島」は「ヒロシマ」だよね。
私は、大学の4回生(たぶん)のときはじめて広島に行きました。ゼミと部活が一緒だった大親友のkさんと大学のゼミの恩師とで行った記憶があるのですが・・・。大学の広島支部の同窓会のお手伝いのためだったか・・、かなり忘却している。。。が、その時感じた気持ちは2回目に行ったとき、そして、3回目、2年前に「障害児の高校入学問題の全国集会」がヒロシマであったときに訪れたときと変化しているが、原爆資料館にいくとメッセージがきこえてくるような気がする。
戦後生まれのワタシタチにとっては、心のあり方の原点は「世界初原爆投下都市ヒロシマ」にあるのかも知れない。ヒロシマに死んだ心、生きる心からの伝言が聴こえてくる。
ちゃ2006年03月09日 22:14
こんにちわ。『吉田町の唄』で検索していたらたどり着きました。
ご存知かもしれませんが、『吉田町の唄』は私の地元の新潟県吉田町が、同姓という理由で吉田拓郎さんにお願いしてみたところ、作ってくれた曲なんです。嘘のような話ですが、本当の話です。この曲は現在、18時のチャイムやごみ収集車の音楽に使われています。
こんな良い曲を特にゆかりもない吉田町のためなんかに作ってくれるなんて未だに不思議です。
らびmama
>ちゃさん、「吉田町の唄」が吉田町の唄だったなんてステキですね~
我が丸亀市の唄・・・さだまさし(彼も原爆投下長崎育ち)作「城のある町」http://www.youtube.com/watch?v=pDnw3_doo5Y&NR=1と同じですね。良い唄ですよ一度聞いてみてください。
ちなみに、ワタクシの父(ご養子さんです。)の旧姓は「吉田」でした。本当に奇遇ですねえ!
Posted by ももこ at
03:03
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