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Posted by あしたさぬき.JP at

2008年03月31日

おちました~・・・

入試発表を見てきました。
がっくり雪だるま
ぜんぜん変わらない大人たちを待ってはいられそうにありません。
大学に行こうかなワーイ
だってもう18才だしプッン

大人もがんばってヨ~!!!  


Posted by ももこ at 12:20Comments(3)

2008年03月30日

選抜について





大阪で住んでいた頃の小さな”らび”です。
わたしは自分が体験したことを、そして、今の状況を考えています。
なぜ、自分は常に「センバツされないのか?」そして、どうすれば「センバツされるのか!」



ズーと私のような子どもの側にたって応援してくださっている、うちのおじいちゃんと同じ、たぶん80歳台になられているおばあちゃん元教師(スミマセン)の
「すべらない高校の話 ー0点でも高校へー」からリカイしました

・・・・・定員内不合格というのは、
「この席空いているから座らせて」というようなものでしょう?
これに条件が付けられますか?
空いているのだったら誰でも座っていいわけでしょう。
ソウダ
それなのに定員内不合格に条件がつけられるというのは、やはりおかしな話です。(ソウダ!ソウダ!)

それは無条件に入れなければいけないと思います。

そこには、「高校は勉強ができないと入れない」
という「適格者主義」というものがあるわけです。(フーム、イツカ、キイタコトガアルことば「テキカクシャシュギ」つまりわたしは、「適格者でなく足らない人(この言葉もかつて聞いたことがアル」

高校は後期中等教育ですから、
行きたい人が全員保障されて当たり前だと思うのです。(ソウデス!)
ただ、お金はかかるので強制はできないわけですが。

でも、「高校は試験があるものだ。
試験に通らなければ入れないものだ」という経験を親ごさんもしていますから、
「この子が入れるわけないぞ」と(ウチノバアイ、みんな家族はガンバレバ入れるとオモッテイルハート
親ごさんが見てしまうのではないでしょうか。
まずは、親側の「見切り」があると思います。

埼玉で、養護学校から高校を受検した人が不合格になったことがあるんです。
それはなぜかというと、事前協議とかいう、
障害のある人について事前に高校と話し合うという
連絡事項があるのですが、
養護学校が出した書類に、
「この子を入れたら大変だよ」みたいな事が書いてあったのです。

そのために不合格になって裁判になった時に、
私は証人として裁判に出ました。

その時に埼玉県の方が、
「高校は選抜ですから」と言いました。

「分かりました。選抜制度です。
だけど選抜というのは、
先生に都合のいいい順番に入れるのではないですよね

と私は言いました。


高校が教育をするところならば、
教育を必要とする順番に入れるべきではありませんか
?」
と言いました。

裁判所は深く頷きました。

誰でもそう思いますよね。

一番教育を必要とする順番にと。

だって公のお金を使うわけですから、(母ハ、ツヨクウナズク

どこへ行っても学べるでなく、
一番高校に行かなければならない子を優先的に入れる。
選抜の基準というのはそれぞれ違うわけですが、
今の所、先生の教えやすい子を優先的に入れているわけです。(ソウデスネ泣き

そこが間違っていると思います。(ソウカ!)

高校の学習指導要領を見ますと、
「心身に障害があって学習が遅れがちな子どもにた対しては配慮すること」(ソウヨ、Kちゃんダッテ、Hちゃんダッテ高校入って進級しているし~)
学校教育法の施行規則の中にも、
「学習の遅れがちな子どもについてはその子に合わせた配慮をすること」
と言うことが、国のレベルで書かれております。(ソウダッタンダ~ニコニコ)  


Posted by ももこ at 11:20Comments(0)

2008年03月29日

がっこうにいきたい


制服を着て受検をするのは卒業です。家族はみんな「ガンバッタ!」といってくれます。

4月から私の夢みる全日制のデザイン科に通えるかお話を聴いてきました。
ダメデシタ。。。

それでも、わたしは言ってきました。
「ガッコウ へ  イ キ タ イ デス!」

私にもプライドがある。えんぴつ
どうして香川県の高校が知的障害者と学ぶのをイヤガルのか?
ワタシニハリカイデキナイオドロキ
知的障害者と一緒にいるとウツラナイノダケどね~、それよりか、とlっても賢くなるのにねニコニコ
  


Posted by ももこ at 07:41Comments(0)

2008年03月27日

ゆず&中島みゆき




先日の不合格発表の朝、友だちからプレゼントされた椿の花は、全開の花は落ちてしまったけれど、まだ、つぼみがあります。メロメロ

またまた、がんばりましたカメラ



私の応援歌は小学校時代みんなで歌った中島みゆきの「地上の星」と中学校の卒業式で歌ったゆずの「栄光へのかけ橋」だ。いつも、受検に行く車の中で聴いている。
母は、今日の朝「ハナミズキ」ではなく、中島みゆきの歌を流していた。

・・くりかえす悲しみを照らす火をかざせ

君にも僕にも、すべての人にも

命につく名前をこころと呼ぶ

名もない君にも

名もない僕にも


たやすく泪を流せる人は

たやすく痛みも分かるだろう

けれども、人には笑顔のままで泣いてるときもある

石よ、木よ、水よ、

僕よりも誰も傷つけぬ者たちよ


くりかえす過ちに照らす火をかざせ

君にも僕にもすべての人にも

・・・・・
  


Posted by ももこ at 17:05Comments(3)

2008年03月27日

ビリーブ




もう一度だけ信じてあげようフッン  


Posted by ももこ at 09:05Comments(0)

2008年03月26日

それぞれの春

プッン3月24日(月)に母とななちゃんは巡礼の旅(?)に出かけた。
観音寺ではさくらんぼ(?)が満開だった。

 日曜の夜、くまちゃんとおばちゃんが来た。くまちゃんとは保育所・小学校・中学校と一緒だった。小学校時代は学校が終わると毎日と言っていいぐらい我が家には多くの友達が来ていた。近くの外濠公園と我が家を行ったり来たりして、私たちは、お日様が沈む頃まで遊んでいた。あの頃はほんとうに楽しかった!
 くまちゃんはK大の法学部に進学するそうだ。そして、大好きなテニスを続けるという、今のうちにサインを貰っておこうかと思わず思うほど上手だ。あの頃の友達のことを聞いた。猫ちゃんは公務員を目指して専門学校、パンダちゃんは滑り止めのD大は受かって国立大学の合否は、まだ分からないらしい、おばちゃんたちが不良にならないかと心配していたきつねちゃんは福祉の学校に行くと言う、たぬきちゃんは準看になったので正看護師をめざし関西の看護学校の寮に入って勉強するそうだ。ねずみちゃんは家を出て愛知で就職するし、うまちゃんは近くの短大にいくという。みんなそれぞれの旅立ちの春が来ている。
 でも、M高校の定時制に行った犬ちゃんとやぎちゃんは昼間働いて夜高校に行っているので後一年高校生だ。みんな、夢を持ちながら生きている。

わたしにも、夢がある。障害者だからと、障害者ばかりのところに行かせないで欲しい。フッン 
くまちゃんとおばちゃんにわたしはまだ高校を受け続けていると言ったら、点が取れないのは障害があるからなのにねえ~、入れてくれたらいいのにねえ~と慰めてくれた。泣きななちゃんも「こんなにいい子なのにねえ~」と。。。。。。  


Posted by ももこ at 18:11Comments(0)

2008年03月26日

それぞれの豊かさ

えんぴつ今から13年前、平成7年8月5日~7日に実施された第20回香川聴覚言語障害治療教室(詫間キャンプ)の報告書に母が寄せた文章

・・・・・・
 キャンプのお礼として、私の好きな言い伝えをここに紹介したいと思います。この話は、今はスーパーに押されて少なくなってしまった町の小さな食料品店のおばさん(自称二十歳のみなしご)に、聞いた話です。日本には、ハンディーをもって生まれた子どもを「福子」と呼ぶ言い伝えがあるそうです。その子は、家族(社会)に「福」をもたらすからというのです。つまり、その子が存在するがゆえに周りの人々がいろいろな苦難を乗り越えて成長していき、社会に貢献できる人間になれるというのです。何の苦労もしないでノホホーンと生きていると平凡な人生しか歩めない(まあ、それはそれでいいけどね)。

 わたしは、この話を聞いたとき、今はひょっとするとみんなが忘れてしまっているんじゃないかと思えてしまう日本人の度量の広さに感動しました。で、このときからうさぎのことを「福ちゃん」と呼ぶことにしました(これはうそです)。

 それから、もう一つ。わたしの好きな絵本作家の五味太郎氏がこんなことを言っています。「運動会でも、三番目の豊かさ、四番目の豊かさ、一番最後の豊かさ、一番最初に行く豊かさとがあるのね。六人で駆けると六つの豊かさなのに、一番だけが豊かになるみたいな。何でわざわざ、みんな寄ってたかって、貧しくしちゃうの、というのが。もったいないという感じかね。どうして楽しまないんだろうか。自分のテンポみたいなことを尊重して・・・・・。」

怒ってるぞでも、スタートさせたからにはゴールがないと、サギになります。。。。。泣き  


Posted by ももこ at 13:38Comments(0)

2008年03月25日

それぞれの豊かさ&それぞれの春

わたしは走る!ゴールに向かって!

  


Posted by ももこ at 15:51Comments(0)

2008年03月23日

ボンボンシッポは、見えないけれど、あるんだよ!





実は、我がシッポ、下のほうに付いていまして、普通の位置からは見えナインですよワーイ

見る位置を変えると、ボンボンのようなかわいいま~るいシッポを見ることが出来ます。

サンテグジュペリが『星の王子様』で語っているように「大事なものは目に見えないんだよ!」

で、前回のブログ『電車にのれなかった女の子』の重要キャストを記するのを忘れていました。

我輩「ピーターラビット」いや、「さぬきの灰色うさぎ」、いや「アリスの白うさぎ」・・・。
名前をなんとしよ~えんぴつ  


Posted by ももこ at 09:37Comments(0)

2008年03月21日

『電車にのれなかった女の子』

母は、ななちゃんに語る。

『電車男』ってあったよね~?!

まあ、我が家の話は『電車にのれなかった女の子』の題名やね~。

登場人物

電車にのれなかった女の子・その母ソクラテスの妻(悪妻)・その父ソクラテス
・その姉ココ(シャネル)・その姉ナナ(ムスク-ニ)・その他メールで励ます豪華キャスト。

ななちゃん、それを聞いて「ホンマニ、苦労せんと生きるとるよなあ?!」

母「えっ!?十分苦労してますけど。。。笑いニ、ショウカスルシカナイッショッ。。。」

それって、子どもの苦労に比べたら比にならないゾ~泣き  


Posted by ももこ at 12:28Comments(0)

2008年03月19日

発表の日は雨





朝、受検高校に行ってきました。
私の番号はありませんでした。失恋

でも、校長先生と二人の教頭先生に「ガッコウニ、イキタイ!」と言ってきました。

『ノーマライゼーションの高校』を創るために、もうひとがんばりします!ガッツ

もう、中学校の制服は着たくないし、中学校のカバンのファスナーは、試験二日目に壊れてしまいました。

三人の教育関係者は、NHK総合テレビ『四国羅針盤』をだれ一人見ていませんでした。オドロキ

公共電波からのメッセージは届いていないようです。今度、録画のDVDをお持ちしようと思います。カチョーには、見てねと伝えていたのに・・・・・。トップダウンはないいんだ~。

「カガワケンハ、トモニイキルシャカイヲ、コウチクシヨウトシテイルハズナンダケド。。。」

まだまだ、啓蒙が足りないようです。私がノーマライゼーション啓蒙係、高校担当になりたいと思います。みなさま応援よろしくお願いします。うさぎ

  


Posted by ももこ at 11:50Comments(3)

2008年03月17日

平本歩さん(パクパクっ子)の父、平本弘冨美さんのこと・・・




表紙は、「赤ちゃんの歩ちゃんを囲む家族の写真」と「山男だった弘冨美が大好きな山の絵」がレイアウトされています。

尼崎市在住、人工呼吸器をつけて高校生にもなった歩さんのお父さんが、昨年、2006年5月5日に肝臓ガンで永眠されました。

そのお父さんの『平本弘冨美さんと語る会 皆様からのメッセージ集 (2006年6月24日) 』を、昨年8月、愛媛で開催された「障害児を普通学校へ・全国連絡会 」全国交流集会の時にいただきました。平本さんのことをできるだけ多くの人々に知ってほしいからと・・・。

たくさんの方々が、メーッセージを寄せてくださっています。その中から、紹介させていただきたいと思います。

小山 師人さん(ジャーナリスト フランスから)

平本さんとの思い出

 平本さんが亡くなってちょうど1年が経った5月初め、フランスでは大統領選挙の候補者のテレビ討論会が行われていました。右派のサルコジが「障害児を地域の学校へ入れるようにしたい」と言い出したとき、左派のロワイヤルが怒りだしました。
 「私が初等教育大臣のときに実現させたのに、あなたがたの内閣が廃止したんじゃないですか。今になって、それを言い出すのは、政治的利用です」
その剣幕に押されてサルコジは
「まあまあ、マダム、そんなに怒るのは、大統領候補としては、いかがなものか」
「私は怒る権利があります。私の怒りは健康的な怒りです」とロワイヤル。
結局
選挙ではサルコジが勝ったのですが、ロワイヤル夫人の、「健康的な怒り」という言葉が胸に残りました。
 今の日本では、どうでもいいことにすぐキレる人は多いが、大切なことには怒らないようです。
 平本さんは、普段は静かですが、交渉の場で、ときに怒りを込めた言葉がでました。人を差別したり、踏みつけたりする相手への怒りです。今、私達に必要なのは、平本さんが持っていたような「健康な怒り」ではないでしょうか。


 平本さんとのつきあいは長いのですが、なぜか記憶に残っているのは、比良山に家族連れでスキーに行ったことです。25年以上前で、まだ歩さんが生まれていないときでした。
 普段難しい議論を重ねていた平本さんが晴れ晴れとした表情で、山を楽しんでいる様子が印象的でした。
 それから何年かして、平本さんが僕に会いにNHKに来てくれました。そこで初めから平本さんは歩さんのことを僕に話し、病院から家に帰し、育てたいと真剣な表情で言いました。1990年のことだと思います。
 それから歩さんの取材が始まりました。退院、保育所への入園、小学校入学、立山登山、北海道旅行、そして高校入学、それぞれの取材について何を聞いても平本さんは親切に教えてくれました。平本さんとの打ち合わせは、腑に落ちることばかりでした。


 その平本さんがいないことは、とても寂しいです。家族はもちろん、一緒に運動を担っただれもがそう思っているでしょう。これからは、それぞれが自分の歩む道を考えて進まなければなりません。でも、困ったときは、空を仰いで平本さんに聞いてみたら、きっといい答えを授けてくれるでしょう。太陽

*1992年、歩さんは小学校に入学しました。お父さんは、以後12年間、高校卒業まで、付き添いました。2004年、歩さんが高校を卒業後、予備校にも付き添っていました。  


Posted by ももこ at 10:56Comments(0)

2008年03月16日

徳島の陽子ちゃんガンバレー!



昨日は、ラッピングでした。

リボンでバラを作って、グラスにデコレーションしました。
素敵でしょっニコニコ
箱のリボンは、ハートの形なんだけど、ちょっと見にくいかなあ~

金曜日のNHKテレビ『四国羅針盤』をみました。
録画もしました。父など「何で四国だけの番組なんや。『クローズアップ現代』で取り上げてほしい!」と言っていました。ピース
陽子ちゃんは、今年不合格になったけれど、脳性まひの障害があるけれど、共に学べる高校を求めて来年もチャレンジしてね!ガッツ

東京都では、今から20年前1987年に、脳性まひの障害がある金井康治さんが東京都立溝江高校に一浪して高校入学を果たしています。日本全国でみると、人工呼吸器をつけて生活している子どもも高校生になっています。
私は昨年の夏、愛媛で開催された「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の全国交流集会に参加しましたが、そこで、大阪の高校に通う人工呼吸器をつけた高校3年の折田くんが高校生活を語ってくれました。人間の力はすごい!と感動しました。  


Posted by ももこ at 12:01Comments(0)

2008年03月14日

今日は中学校の卒業式~3年前を思う~

木

ヒミコ先生&ナオちゃんのランが、  今年もみごとに咲きました。メロメロ

三年前の『謝辞』汗

昨年5月20日発行、
会報NO.46『共に生きる』の表紙は
母校の中学校の校舎とハナミズキカメラ











        謝   辞

 卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
 校長先生をはじめ先生方、私どもの子どものためにこのような心温まる卒業式を行っていただきまして、ありがとうございます。
 また、ご来賓のみなさま、ご多忙にもかかわりませず、ご臨席賜りまして深くお礼申し上げます。

 今日、この子たちはこのM市立N中学校を巣立っていきます。入学した頃は、まだ幼さの残っていた子どもたちも、この三年間にとてもたくましくなりました。これもひとえに先生方をはじめ支えてくださった多くの方々のおかげであると、私ども親としまして心より感謝いたしております。

 先ほどの卒業式でも、子どもたちから素敵な歌声をプレゼントしていただき、ありがとうございました。友と歌った最後の歌です。

 「誰にも見せない泪があった
 人知れず流した泪があった
 決して平らな道ではなかった
 けれど確かに歩んで来た道だ
 あの時思い描いた夢の途中に今も
 何度も何度もあきらめかけた夢の途中・・・」

 平均寿命が八十歳程になった現代。
まだ、人生の六分の一しか生きていない子どもたちです。
それこそ、「まだ、夢の途中」でしょう。

若いと言うことは、楽しいことばかりではありません。
悩み多き思春期を、これからは自分自身を見つめながら、生き抜いていかなければなりません。


 昨日持って帰った卒業アルバムを開くと、一番最初に「校舎点描」として、N中の学び舎に植えられた花や樹木の写真が目に入ります。子どもたちは先生方と一緒に花の苗を植えたり、落ち葉を掃いたりしたことでしょう。

 桜・パンジー・チューリップ・さつき・フジ・ハナミズキ・・・いろんな花がアルバムを飾っています。
それぞれの花は、それぞれの季節に咲きます。早く咲く花もあれば、遅く咲く花もあります。

人間も同じだと思います。一度きりの人生です。慌てることはありません。
親は種を蒔きました。そして、先生方はN中学校で水を上げてくださいました。
それだけでは、花は咲かないかもしれません。

肥料を探して、自分探しの旅に出るときが来ました。

ぜひ、人を和ませる自分なりの綺麗な花を咲かせてください。

最後になりましたが、ここまで子どもたちを導いてくださった先生方、PTAでも共に活動してきた保護者の皆様に厚くお礼申し上げますとともに、今後も変わらずに子どもたちへのご支援よろしくお願いいたします。

そして、親を代表して子どもたちへ

「ここまで大きくなってくれて、ありがとう。」

                       平成17年3月11日

                              保護者代表  momomama



 木昨年、校舎を新築するため、古い校舎は解体され、草や樹木や花たちも・・・。
 そして、当時の校長先生は、今日最後の卒業式を迎えられた・・・。ピカピカ

 
  


Posted by ももこ at 14:20Comments(0)

2008年03月13日

「ハナミズキ」の歌




母は朝5時に起きて家族の朝ご飯やお弁当を作りながら、昨年もこの歌を何回も聴いていた。

待たなくてもいいよ
知らなくてもいいよ

薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと終わりますように
君と好きな人が百年続きますように


僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんととまりますように


『教育』とは何かもう一度立ち止まって考えてほしい。

カレヲ、ワスレナイデホシイ!  


Posted by ももこ at 12:12Comments(0)

2008年03月12日

無事(?)『お受験』終わりました!




母と打ち上げランチして帰ってきました。ニコニコ

言語機能障害(中枢性)があるので、面接は大の苦手!

だって、しゃべれないし。。。初めて会う人は私がなんて言っているかわからないらしい・・・。
いっしょうけんめいなんだけどなあ~。
それに、性格的に「シャイ」だしっ!ヘルパーのしーさんもかおりちゃんもゆっちゃんも、私のことをそう言う。

でも、「らび、ラビ」って書いたから、このブログ見てくれたらわたしのこと少しは分かるのになあハート  


Posted by ももこ at 13:33Comments(7)

2008年03月12日

3月12日、今日も受験日、2日目。




今日は、デザイン科志望なので、適性検査と面接があります。

私はエイブルアートをやりたいので、専門的なデザインの勉強を高校でしたいです。

中学校時代は、修学旅行とコーラスをみんなとしたことが、とっても、思い出に残っています。

いっしょうけんめい、がんばります!  


Posted by ももこ at 07:41Comments(2)

2008年03月11日

3月11日、今日は受験、一日目!




がんばります!  


Posted by ももこ at 07:15Comments(8)

2008年03月07日

3月5日(水)受検票が届く



 母が母校の中学校へ行って、来週の11日(火)12日(水)に実施される高校受検の受検票をもらってきてくれた。私が3年生だった時の、担任のY先生は昨年から転出でいなく、代わりに私たちの団にいらっしっゃて私のことを知っているH先生が対応してくださっているそうだ。
 H先生は、その日、近くのM高校の卒業式に、中学校からの来賓で出席されたそうな。中学校まで私といっしょだったクラスメートたちは、その日、高校を卒業して行ったそうな・・・。泣き
 H先生はその話を母に感慨深そうにしながら、とっても男らしい先生なのだけど、その目は少し涙目になっていたように思ったと話してくれた。タラーッピカピカ

 


  


Posted by ももこ at 14:52Comments(5)

2008年03月05日

3月2日(日)<スペシャルオリンピックスバトミントン競技会>





二年ほど前から始めたバトミントン。かなり上手になりました。
この前の日曜日、スペシャルオリンピックスの競技会がありました。
ディビジョニングをして、Bブロック、三位になりました。ニコニコ

なんでも、出来ないと思ってやらなかったらいつまでたってもできないけれど・・・。
地道に練習会に参加した成果が出たよピース  


Posted by ももこ at 16:34Comments(3)