2011年09月30日
マスカットオブアレキサンドリア

岡山旅行で、ぶどう狩りしてきました。
メチャおいしかったです

とっても立派なマスカットを一房、はさみで切りとりました。
そして、ぶどう棚の下で、私たちは(mama&papa&らび)そのぶどうを食べました。
至福のひと時・・・・・

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2011年09月29日
閑谷学校


豪壮な講堂は国宝です。
江戸時代に創られました。儒学の祖孔子の徳をたたえる伝統儀式「採菜(せきさい)」が10月22日に史跡聖廟(孔子廟)で古式にのっとり行なわれるそうです。閑谷学校の歴史と伝統を継承する県立和気閑谷高校の教職員が儀式を執行する祭官となり孔子を祀る大成殿の儀のあと、国宝・講堂に移動し論語講釈を聴講して、続いて食堂で甘酒や昼食をとるそうです。一般参加者の定員は50人だそうです。(申し込みは往復はがきで、参加費2000円)
岡山藩士の士弟だけでなく、農家など庶民や他藩士の士弟まで入学させていたそうです。でも、男子だけなのよね・・・。

土日、岡山に旅行に行ってました。
mamaの趣味、お城と昔の学校めぐり

基本的にワタシもmamaも学問というものに興味があります。
時代時代で学校で学ぶものはちがうのよね~

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2011年09月29日
2011年09月28日
十三回忌

ひさびさ”ワニなつノート”~
2011/9/20 13:20
9月11日と康司のこと
特別支援教育からの転校・転籍
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9月11日と康司のこと
9月11日。
世間が、アメリカの同時多発テロと、東北大震災から半年、という話題であふれている日。私は少し季節遅れの向日葵の花束を持って、康司に会いに行ってきました。
康司がいなくなって12年。康司に届けるのは、毎年、向日葵と決まっています。
今年は、ふと、指折り数えて、もしかしたら「十三回忌」っていう巡り時なんだと気づきました。十三回忌にどんな意味があるのか、この年まで考えたことがありません。でも、自分の残り時間を考えるようになってからの、友人の十三回忌という「響き」は、なんだか不思議な気がしました。
この12年の間に、普通学級に入学することも、普通高校に入学することも、別世界のように変わった気がします。
入学通知をもらうために、市教委や県教委に座り込むなんてことも久しくなくなりました。
医療的ケアを必要とする子どもたちが、次々と普通学級の扉を開いていきます。
2年前に相談を受けた、養護学校から普通学級の転校の話。
康司と同じ、小学校入学後の転校の話。
康司があんなにがんばりつづけて、5年間、とうとう入れなかった小学校に、H君は2年生から暖かく迎えられました。
H君のお母さんが、いつも会報に、暖かいエピソードを紹介してくれます。
どれも、7歳、8歳、9歳の子どもだった康司が、命がけで求めたものでした。
命がけで求めたもの。
でも、それはありふれた日常のことでした。
初めて、康司のことを新聞記事で読んだとき、なぜか他人事と思えない気持ちがしました。
18か19歳のときだったと思います。
私が子どものころに失いかけた、自分にとって命より大切なもの。
私が運良くつなぎとめた、世界で一番大切なもの。
それを、奪われてかけている子がいる。
私が声もあげられなかったのと違い、この子は、こんなにも大きな声で、「みんなと一緒にがっこうに行きたい」と叫んでいる。
それから康司に出会うまで、数年の時間が過ぎました。
でも、出会うのは必然でした。康司がいなくなって、12年が過ぎて、そのことを改めて確信しています。私が人生で出会ったたくさんの人たちのなかで、わたしという存在を、もっともよくわかってくれた一人が康司だったとわかります。
一緒にいた時には気づかなかった、いくつかの場面、いくつかのしぐさ、いくつかのまなざしを、私は生きる支えとして、感じ続けています。
地域の普通学級に転校したHくんの、この夏休みのエピソードを、康司のために、ここに置きます。
康司の人生と、私の人生で、一番大切にしてきたものが、Hくんの周りでも同じように大切にされています。
康司と一緒に、Hくんに会いたかったな。
《みんなが一緒に暮らす街》
夏休みのある日、校区外にあるショッピングセンターへhと行きました。お金をおろさなければならなかったので、建物内にあるATMのコーナーへ向かいました。そこは、幅20mくらいの細長い1つの部屋のようになっていて、10件以上の金融機関のATMの機械が横一列に並んでいます。一面ガラス張りになっているので、たくさんの人が並んでいるのが外から見えました。
自動ドアが開いて、hの車椅子を押しながら中に入りました。冷房が効いていてひんやりしました。それから、中の雰囲気が静かになった気がしました。
さっきまでお母さんに何か要求していた3歳くらいの女の子は、急に黙って視線をhに向けました。不思議なものを見るような、気になるけど近づきたくはないような、そんな様子でした。
中に入ったとたん急にしんとしたり、この女の子のような視線を向けられることは、街に出て行けばよく経験することです。そんな時、私はどうするかというと、たいていは何もせず淡々と
hや自分の用事を済ませます。距離が近くて、私に心の余裕がある時は「こんにちは」とあいさつします。時々、なんとも表現のしようがないくらい冷たい視線を送るおばさんと遭遇しますが、
いけないと思いつつも、その視線が離れるまでジーっとおばさんの目を鋭く見てしまうこともあります。
さて、私はこの日、この幼い女の子に対してどうしたかというと、何もしませんでした。「こんにちは」と言うには距離があったし、あいさつの代わりにニコッと笑顔を向ける気持ちも、残念ながらその時はありませんでした。なので、何もせず列に並んでいたのですが、その子は一時もhから目を離さないで、先ほどと同じ視線を向けていました。小さい子に悪意や悪気はなかったでしょうし、本当は「お話してみたいな」なんて思っていたかもしれません。
でも、その時の私は、「もう見るのやめてくれないかなぁ」と少し心がざわざわしていました。
「あ、hくんっ!」
突然、声がしました。振り向くとhと同じクラスの女の子がいました。彼女はhに話しかけたり、肩にかけていたジョーズの財布を見せたり、hのほっぺをプニプニ触って、とても楽しそうにしていました。hもケタケタ笑っていました。彼女のお母さんがATMでの用事を済ませると「バイバイ」と言って去っていきました。「じゃあね、またね」と私も言って、「こんな所で会うとはなぁ」とびっくり嬉しい気持ちにひたり、そう言えば…、と思い出して、さっきの小さな女の子に目を向けました。その女の子は、hから私に目を移しました。私はニコッとしました。女の子もニコッとしました。
ほんの数分の出来事でした。
クラスメートの出現は、小さな女の子にも、そしてそこにいた大人の人にも、安心のような気持ちを抱かせたのではないかと思います。そして何よりも、私の心を柔らかにしてくれました。
「仲間なんだから、そんな顔しないで」と言われたような気がしました。さりげなく、ちょっとずつ、みんなが絡み合って、一緒に生活しているんだ、そんなことを思いました。
よく書かせていただくことですが、hが地域の学校に通っているからこそ、つまり、毎日をみんなと同じように過ごすからこそ生まれた出来事です。たとえ地域に養護学校があったとしても生まれない物語なのです。分けられないで過ごした子ども時代は、分けない大人に繋がって、みんな一緒に暮らす街になるのだと思います。子どもたちを比べて、分けるということはとても悲しいことです。なぜなら、その子どもたちは、「人を分けることは正しいこと」だと錯覚して、その悲しみを感じることができずに、人を分ける仕組みや解決方法しか思いつかない大人になっていくからです。今こうして生きている私たち大人がその証です。「個人のニーズ」からではなく、
「人は人と共に生きること」からスタートして、その中で必要な配慮をしていくことが大切だと思います。
早く悲しい連鎖が止まってほしいと願います。
hの周りでは、「一緒に過ごすこと」が当たり前になっています。夏休みの間にもいろんなことがありました。
「ねえ、hくんも絶対きてよ!」
子どもたちに夏休みのラジオ体操に必ず来るように約束させられました。朝6時半の集合は大変でしたが、がんばりました。到着すると、hはスルスルとみんなの輪の中に取り込まれていきました。いつものコチョコチョ、いつもの笑顔、いつもの「やめてよ~」の顔、いつもの会話がありました。
子ども会でボーリングに行きました。hはガター防止の柵付レーンで、補助台を使って投げました。補助台はすべり台の形をしていて、上においた玉をポンと手で押すと転がっていきます。自然と友達がhの手に自分の手を添えて、一緒に押してくれました。hと一緒にできることを喜んでいるようでした。2ゲーム終了まで全投手伝ってくれました。hは不思議そうな顔をしていましたが、ともかく、初めてのボーリングをみんなと一緒にすることができました。
毎年恒例の花火大会。近所の友達が集まって、港で家庭用花火を出します。地域の学校に通って1年目の昨年は、子どもたちがワイワイとhに花火を見せてくれたり、車椅子を押して連れていってくれていました。養護学校時代の花火大会は、hは一人ぼっちだったので、私はとても感激して、嬉しく思いました。
そして今年はというと、昨年のようにhに対してワイワイすることはなく、自分の出す花火を楽しみながら、でもhのことも忘れず、近くで花火を出して見せてくれていました。今年はなんだか、hが、自然にいる、馴染んでいる、当たり前にいる、そんな感じでした。
この夏休みの子どもたちの様子も、学校での子供同士のやり取りも、本当に嬉しいことがたくさんあります。でも、以前と変わらず、子どもたちの素直さや心の自由さに感動するも、hがみんなと一緒に過ごしていることへの感動は、最近はそれほど感じなくなってきました。
それはつまり、「hがここにいるのはふつうのことになった、当たり前のことになった」ということだと思います。hだけではなく、全ての子が、みんな一緒に過ごせるようになってほしいです。ATMでの出来事のように、いろんな人が関わり合ってできる物語が溢れるN市になってほしいです。
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02:28
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2011年09月27日
追憶~2006年03月06日 の日記

今から5年半前のブログ・・・・
~2006年03月06日00:38 のブログ~
「たくろう」はすごい!!2006年03月06日00:38
先日、3月発行の我が会の会報の表紙を飾る(?)歌を探しにビデオ100に行った。本当は、ゆずの「命果てるまで」にしようと思ってこの歌が入っているCDを借りたんだけれど、ついでに、大好きな吉田拓郎の2枚組ライブのCDも借りた。
2000年6月に大阪から、NHK教育でご活躍の牧口一二さんをお呼びして、我が会で「ちがうことこそ ええこっちゃ」のテーマで講演会をしたことがある。用事で、天然クッキーちゃんの車に乗った時、私がそのころよく聞いていた吉田拓郎の曲が流れていたのにはビックリした。彼女と私は5歳も違うのに、同じ歌をいまだに聴いているとは・・・。我が同志、テーマソングも一緒なのか
、なんせ、血液型も、星座も一緒だった、と知り合って10年たった今頃、お互い知ったというから、なにおかいわんである。。。
こんな私たちだから、香川県でこんなことを10年以上もやっているのか!でも、どうもこういう活動というのは、10年でやっ
と一人前になり、世の中に認められるようになるのかもしれないと楽観的な事を考えている。
で、この年になって、ワタシ的には拓郎の新しい曲(?)を発掘して、朝からその歌を聴き涙したのであった。吉田拓郎は広島県出身である。
吉田町の唄 作詞・作曲・編曲:吉田拓郎
http://www.youtube.com/watch?v=6QscAW6QsaU&NR=1
昔 その人は 赤子を抱いて いつか故郷を拓けと願い
「父を越えて行け」と 名前を さずけた
母は影のように たたずみながら すこやかであれと 涙を流す
のびやかに しなやかに 育てよ 子供
やがて 大地 踏みしめ 太陽になれ
祖母に手をひかれ 海辺を歩く はるか遠い国へ
胸をおどらせ 風がほほを過ぎて 7才の夏の日
姉の唄う声は 小鳥のようで 心ときめいて 足を
はやめる
のびやかに しなやかに 育てよ 子供
やがて 大地 踏みしめ 太陽になれ
兄の進む道は たくましそうで あこがれのように
まぶしく写る
「強くなれたらいい」 12才の秋の日
友と汗をふき 山に登れば たぎる想いゆれて 命とおとし
時は川の流れ 19才の冬の日
あの日その人は やさしく笑い 母の手をにぎり
旅に出かけた
おだやかに やすらかに 眠れと いのる
やがて 雪を とかして せせらぎになれ
いくど春が来て あの日をたどる この名も故郷も静かに生きる
雲が空に浮かび 人の顔になる
昔その人が 愛した場所に 若い緑たちが 芽をふきはじめ
のびやかに しなやかに 育てよ 子供
やがて 大地 踏みしめ 太陽になれ
のびやかに しなやかに 育てよ 子供
やがて 大地 踏みしめ 太陽になれ
そうだ、どんな子どもも、「のびやかに、しなやかに 育てよ」である。子どもたちよ!おばちゃん達の無力を許しておくれ。
「祖母に手をひかれ・・・7才の夏の日」の祖母は義理ママで、
「姉が唄う声は 小鳥の・・・」の姉はnanaで、
「兄の進む道は・・・12才の秋の日」の兄はcoco
そして、子供はらびである。
~我が家の遠い風景であり、そして、これからの風景か!?~
コメント
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コメント
dodo2006年03月06日 11:18
泣かしてくれるなぁ・・たくろう。らびmama。
姫たちの存在は、たしかにわたしをかえてくれました。
力足らずでなにもできないおとなで、ごめんよ。
天然クッキー2006年03月06日 15:39
「唇をかみしめて」知ってますか?広島べんの歌です。
『 えーかげんなやつじゃけー、ほっといてくれんさい。・・・・人が好きじゃけん、裁くも裁かんも・・空に任したんよー』
融通の利かなさ、世の中にあわしきれない、でも人が好きで、・・・
この歌が好きです。
いま、会報の原稿を用意しています。今年度最後の挑戦状のつもりです。
らびmama2006年03月07日 06:26
コメント、ありがとうネ!!
「広島育ち」が拓郎を一流にしている気がしてきました。原爆が落とされた、軍都。
愛媛育ちの大江健三郎に障害のある光ちゃんが生まれたとき、彼は広島に行った事をご存じですか?
今から7年前、私たち家族は、近くのM高校をnanaが受験して不合格になった春休みに、広島に一泊旅行をした。広島の平和公園に行った。歴史は私たちに何かを伝えてくれる。
cocoは、小学校6年になる1月に阪神大震災があったので、修学旅行は広島だった。nanaはこんな事(高校受験不合格)でもなければ、若いときに広島に来ることは(それも家族で)なかっただろう。らびは小学4年生(10歳)、coco高専1年(16歳)、nana中学校卒業(15歳)の年だった。
今思うと、らびpapaがなぜ広島を選んだのかサダカではないが、私にとってはnanaにとって「この広島」が持つ意味は人生にとって深いのである。親が残してやれた「nanaの広島」なのである。
nanaは公立の高校に落ちた(親の計画的犯行?)が、自分が通った私立の母校が大好きである。良い先生や友達にいっぱい巡り会っている。そういえば、先週帰省したときに、3年間担任だった先生がめでたくご結婚されたそうだ。卒業するときに、わたしは独身の彼(お付き合いしているお方がいらっしゃったとかで)に「しろいうさぎとくろいうさぎ」の絵本をプレゼントした。私の趣味は、お世話になった教師に絵本をプレゼントすることである。
我が家の姉たちは、公立の高校に通っていない。ある意味、通わさないように、母が仕組んだ(?)高校の合格率の不思議をしっているかしら。ワタクシは自分たちが血を流さないで闘うつもりはございません。
もう、そろそろ香川県の高校改革は実行にうつせる時期にきたかしら。。。
らびmama2006年03月07日 06:44
「広島」は「ヒロシマ」だよね。
私は、大学の4回生(たぶん)のときはじめて広島に行きました。ゼミと部活が一緒だった大親友のkさんと大学のゼミの恩師とで行った記憶があるのですが・・・。大学の広島支部の同窓会のお手伝いのためだったか・・、かなり忘却している。。。が、その時感じた気持ちは2回目に行ったとき、そして、3回目、2年前に「障害児の高校入学問題の全国集会」がヒロシマであったときに訪れたときと変化しているが、原爆資料館にいくとメッセージがきこえてくるような気がする。
戦後生まれのワタシタチにとっては、心のあり方の原点は「世界初原爆投下都市ヒロシマ」にあるのかも知れない。ヒロシマに死んだ心、生きる心からの伝言が聴こえてくる。
ちゃ2006年03月09日 22:14
こんにちわ。『吉田町の唄』で検索していたらたどり着きました。
ご存知かもしれませんが、『吉田町の唄』は私の地元の新潟県吉田町が、同姓という理由で吉田拓郎さんにお願いしてみたところ、作ってくれた曲なんです。嘘のような話ですが、本当の話です。この曲は現在、18時のチャイムやごみ収集車の音楽に使われています。
こんな良い曲を特にゆかりもない吉田町のためなんかに作ってくれるなんて未だに不思議です。
らびmama
>ちゃさん、「吉田町の唄」が吉田町の唄だったなんてステキですね~
我が丸亀市の唄・・・さだまさし(彼も原爆投下長崎育ち)作「城のある町」http://www.youtube.com/watch?v=pDnw3_doo5Y&NR=1と同じですね。良い唄ですよ一度聞いてみてください。
ちなみに、ワタクシの父(ご養子さんです。)の旧姓は「吉田」でした。本当に奇遇ですねえ!
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03:03
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2011年09月24日
北欧旅行とオーストラリア旅行のお土産


mamaの次兄のチバのおじちゃんが我が家にやってきた。
おじいちゃんは大喜びだ。おじちゃん夫妻は7月に北欧旅行に行ったそうだ。来年の3月におじちゃんは定年を迎えるので今回はそのお祝いもかねて二人で行ったそうな。
フィンランドはムーミンの生まれた国だ。ムーミンの折りたたみ傘とクッキーをお土産にいただいた。
おじちゃんは腎臓の移植者なので、神戸のしあわせの村で開催された移植者スポーツ大会に土・日と参加して日曜日の夜三宮からのバスで香川にやってきた。帰りは台風より一足早くどうにかギリギリセーフで四国を脱出することができた火曜日の夜行バスで千葉に帰っていった。お墓参りと実家の草抜きしたからおばあちゃんやご先祖様が守ってくれたんだね。



cocoちゃん、オーストラリア旅行から帰ってきました。デンパ仲間のaiちゃんがワーホリでオーストラリアにいる間に行こうということでデンパ仲間と二人で行ってきたそうな~
でも、今回は買い物をする時間があまり無くてお土産はお菓子でした。かわいいお菓子だね

http://www.youtube.com/watch?v=RJZQpkeZp7o&feature=related
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03:23
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2011年09月23日
乙武洋匡さんが、「一日校長」


papaの大学時代の友人が送ってくれた野菜です。定年退職して今では悠々自適の生活で野菜作りにはまっているそうです。
とっても、りっぱでおいしい愛情いっぱいの野菜たちです。
「希望の唄」http://www.youtube.com/watch?v=_dp4OoVfXgs&feature=related
mamaのインクルネットの仲間からの情報です。


中教審特特委委員の乙武洋匡さんが、「一日校長」をしたという朝日新聞の記事です。
特特委で報告したいとのことなので、どういう報告になるのか、注目ですね。
※asahi.com(朝日新聞)2011年9月22日(動画あり)
http://www.asahi.com/national/update/0921/TKY201109210528.html============================================
乙武さん一日校長 児童と交流 「障害者への理解進む」
先天的に四肢が短く、車いすを利用している作家乙武洋匡さん(35)が21日、東京都品川区立鈴ケ森小学校(太田裕子校長)で、一日校長を務めた。バリアフリー化が進んでいない同校での体験を通じ、障害のある子とない子の共生を考える試み。文部科学省中央教育審議会の委員会で報告したいという。
乙武さんは、お尻を引きずるようにして歩きながら10以上の教室を次々と訪問。児童らと交流した。4階までの階段も、短い手足を精いっぱい伸ばし、5分もかけずに上り切った。
最初は遠巻きに見ていた児童たちも、乙武さんの力強い動きに目を見張り、すぐに打ち解けた。「字はどうやって書くの」「食べるときはどうするの」と、次々に質問が飛んだ。
Posted by ももこ at
03:45
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2011年09月12日
土曜は、文化祭に~

mama&らび

丸亀高校の文化祭にカオリンと行って来ました。
いろいろと催し物があって楽しめました。

mamaも仕事の書類を職場に出しに行った後、一人で定時制の催し物など見学に行ったそうな~。
mama的には文化祭を見ながら、どうして、ワタシが7年間も浪人しないといけないのか、意味不明だったそうです。

私たち、コツコツとお約束を果たしていっていますが、きっと未来は開けていっているのでしょうね・・・・・・

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05:24
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