2016年03月15日

「10浪の伝説の人」を超えた「12浪のらび」です。


「10浪の伝説の人」を超えた「12浪のらび」です。
 みなさま、お久しぶりですニコニコしばらく、ブログをお休みしていましたが、毎年、ワタクシ、コツコツとまじめに一般入試でデザイン科、2次募集で定時制と受検をしております。ガッツその結果、ついに高校浪人12浪となってしまい、香川県の伝説の人の10浪の記録を抜いてしました。オドロキ
 今年も、23回目の高校お受験をいたしました。このブログを休んでいた間、法律が大きく変わっていっています。障害者権利条約は批准されました。そして、4月からは障害者差別解消法が施行されます。
 ラビは、今年の2月25日の朝、mamaが起きてくるのを待っていたように抱っこされてみんなに挨拶をした後、まだまだ生きるんだと、papaから大好きな小松菜を食べさせてもらおうと、大きく口を開けて、息絶えました。ラビは2週間ほど前から、食べても食べてもガリガリとやせていって人間にしたら100歳の域でした。秋に体調が悪くなった時に、主治医のドクターに看てもらったときに、「ウサギの平均寿命は7,8年なので、人間にしたら100歳ぐらいだから、いつどうなってもおかしくないですよ。」と言われていました。でも、その後、回復して元気に食べていましたが、さすがに動きは段々とお年寄りになってきていました。
 ラビの足がたたなくなったのは、亡くなる3日前の午後でした。その日にnanaちゃんに連絡したら、たまたま仕事がお休みだったので、夜、会いに来てくれました。義兄のyu君も、仕事が終わって来てくれました。nanaちゃんにも抱っこされました。
 ラビの亡くなった日は、mamaは一日高松で仕事だったので、お葬式は翌日にする事にしました。その日は、papa(定年退職して年金生活に突入中)とワタシでラビをみました。カオリンがヘルパーできてくれる日だったので、カオリンともラビはお別れできました。
 その日は、不思議な日でした。mamaが仕事が終わって携帯を見ると、ワタシの受験校からの電話記録がありました。mamaは早速電話をしました。そうしたら、今年の特別措置が決定したと言うことでした。今までと違っているので、明日にでも特別措置願いの返事を受け取りに来てくださいと言う事でした。今回12年目にして、やっと代読、面接時の慣れた介助者(障害者総合支援法でのヘルパー介助)が認められることとなったのです。mamaに、悲しい事と嬉しい事がその日に訪れました。不思議な2016年2月25日でした。



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