2009年03月27日

らびちゃんへ~mamaより

らびちゃんへ~mamaより

『えんぴつで奥の細道』完成しました。mamaが出来ないようなので、ワタシがしましたハート、、、mamaより字、じょうずだしワーイ

  
    寺本 美智江さんの 母のとき 

 夫と子どもたちをそれぞれ送り出したあとの家の中は物音ひとつしない。瀬戸内海を眼下に見渡せる家の窓から、初夏のまぶしい光に照り映える海を眺めてみる。静かだなあと思う。これが平和というものかとも思ってみる。家々が屋根を光らせて連なっている。どこかで建設中のノコギリの音さえなぜかけだるいように響いてくる。
 子どもたちは、またたく間に大きくなって、高校生になってしまった。やれオムツだ、やれベビー服だと、大騒ぎしていたのは何年前のことだろう。いつの間にあんなに大きくなってしまったのだろう。
 まぶしくて眼を細めなければ、海も空も木々も、みんな視界から飛び散ってしまいそうな陽光の中で、タイムトンネルの中に陥ってしまったような錯覚を感じる。

 ふいに、私は幼かった時代に棲んでいる自分に気がつく。母がいる。鮮やかに母がいる。あれはたしか私が小学校一年生の時のことだ。四十歳を過ぎた今の私の眼の中に、おかっぱ頭の私がじっとこちらをみつめている。そして、母は姉さんかぶりの手拭いをとって目頭を押さえている。一年生の教室の片すみだ。

 その朝、私は学校へゆかないとだだをこねた。その日は、はじめての身体検査の日だった。子どもたちはみなパンツ一枚になって並ぶのである。私は学校へゆかないと言い張った。しかし、私は身体検査の列の中にいた。来てくれるという母の言葉をのみ頼って待った。仕事着のままかけつけてきた母は、モンペに姉さんかぶりの姿であった。そして、その手拭いで瞼を拭いたのである。同級生の視線を一身に集めながら、現在の私の眼の中に、あのおかっぱ頭の女の子は、口を結んで立っている。あの時、あの幼い子は、”決して泣かない”と、自分自身に言ったのである。痛いほどかみしめた唇の感触が、今でも残っているように。

 今、私は、あの時の母のように、あの幼かった子に涙する。張りつめるほどこらえていた幼い子に泪する。かなしくはないのに涙がにじむ。どうしてだろうか。私があの当時の母の年齢を、今はすでに越えてしまったせいだろうか。私が母となって、母のこころが伝わったせいだろうか。或いは又、私が世の中を少しはわかってきたせいだろうか。

 母は既にいない。五十七歳。逝くにはまだ早すぎる年齢であった。祖先のねむる墓地に母も同じようにねむっている。その墓のすぐわきに、小さく苔むした石がひとつ置いてある。幼な子の腕が桐の箱に収められているという。四十年も前のことである。

   ここにその小さき骨を埋めたり
   我が右手よ苔むす土よ

母は、母自身の悲しみと共に、娘の苦しみも背負っていった。娘の私はー。二人の子どもたちに、私は私自身の生きざまを伝えたいと思っている。子どもたちが、子どもたちなりに、私の喜び悲しみを、素直に受けとめて成長していってくれることを私はただ願うのみである。

 この随筆を書かれた寺本さんは幼いとき事故で右腕を失っています。この文章はある講座の「社会福祉のあらまし」というテーマのとき講師の方が紹介してくださいました。これを読んだとき私は作者と同じように「かなしくはないのに」涙がにじみました。それはきっと私が日々「あの幼い子」と生活を共にしてきているからでしょう。
 
 講師の方に宛てた講義の感想として、その時の私はこう書いています。・・・・・『母のとき』寺本さんの文が心を打って涙が出てきました。私は今、42歳です。寺本さんの心の中の子どもの頃の自分と母になっての自分の心表現がすばらしかった。今、私は障害をもつ三女を育てていますが、我が娘の心を垣間見た思いがしました。健常者としてしか育っていない自分自身が、障害をもって生きていかなければならない娘の心を少しでも知ることができたような気がしました。・・・・・・・1998年5月  らびmama


そして、
 8年後、2006年9月わたしの三人の娘たち・・・・・、障害のない姉たちは今年、そして来年と大学を卒業し来年の春には次女も長女に続いて社会人となる。
 障害のある三女は、ただ今高校をめざして二浪中である。彼女は私と一緒に教育関係者との話し合いに行ったあと、いつも言う

 「ママ。アリガトウ。」

こんな微力な母で、申しわけないと泪する日々である。。。
 

上記の文章は2006年9月22日発行、『~心のバリアフリーとユニバーサルデザインの学校を求めて~☆★☆ 共に生きる ☆★☆ 』に載せたものです。今は2009年3月、あれから2年半も経ってしまい、らびちゃんはただ今、四浪中ですね。

 1年目私立2校公立2校(全日制・二次募集の定時制)、2年目公立全日制1校(cocoちゃんの大学卒業式のため二次は受検せず)、3年目、4年目とも公立2校(全日制・二次募集定時制)そして、5年目の今年公立全日制を受検したので、今までに10回の高校受検を経験しましたね。
よくがんばっていますねガッツ

 こんなに高校生になりたい意欲のある受検生は他にはいないと思います。それに、らびちゃんは高校生になったら、まじめに学校に通っていっぱい学んでくるだろうし・・・。どうして、高校生に今までなれないんだろうね。高校は知的障害者がくるところではないなんてどこにも書いていないのにね。もし、書いてあるとしたら、問題だけれども!?らびちゃんが受け続けている定時制高校は、家のすぐ近くの学校で小学校よりも中学校よりも近いのにいつも定員内不合格を出されて、なかなか高校生になれませんね。泣き

 でも、今日の11回目の受検がんばってください。mamaはいつだってらびちゃんの応援団長ですハート

 




この記事へのコメント
らびちゃん
受験がんばってね^^
応援してます♪
Posted by にこまる at 2009年03月27日 07:27
らびちゃんの頑張りをいつも応援していますよ!
Posted by まこっち at 2009年03月27日 15:23
にこまるさん>まこっちさん>応援メールありがとうございます。(ペコリ)ワタシなりにがんばれました。あとは、3月31日(火)の天命(発表)を待つだけです。

でも、学校ってほんとうに大切だと思います。人々が集まる学び舎。ワタシは大好きです。そこには歴史と現在と未来があるから~!!

mamaはなにやら自分がドジッタのではないかと心配して、フォローしてました。今年はなんせ、mamaに似合わず細心の注意をはらっているようです。ガンバッタネmama「アリガトウ!」
Posted by ももこももこ at 2009年03月27日 16:58
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    コメント(3)