2008年04月15日

「《差別を感じる能力》についてのノート」より

「《差別を感じる能力》についてのノート」より

桜浴してきましたメロメロ
(紫雲山にて)





《差別を感じる能力》についてのノート                                         (ワニなつノート 佐藤陽一ブログより)

               ~略~

☆              ☆               ☆

そして、やっぱりこの問題を知ってもらうところから始めるしかない。

知ってもらう。知識としてではなく、
高校を落とされても、落とされても、落とされても、
あきらめずにまっすぐに手を伸ばす子どもたちのことを、
「公平公正」という「詐欺語」を使って、
大人たちが自分たち健常者だけに都合よく作った制度の中で、
不合格にされても、不合格にされても、不合格にされても、
ただ「がんばる」子どもたちのことを。
その子どもたちの本当の願いを、気持ちを知ってもらうために。

頭のいい知的健常者が作った高校の選抜制度とは、
たとえば、「白い肌であること」「青い目であること」
といった条件を出しているにすぎないということ。
それ以外の肌の色、目の色の子どもは、
どんなにがんばっても、どんなに訴えても、命がけで努力しても、
規則だから、制度だから、といい続ける、
賢く、駄々しく、公平、公正な大人たちの社会の中で。
「高校生になるには、試験に合格しなきゃね」
「合格するには、どうすればいいの?」
「白い肌にならなきゃね」
「どうしたら白くなるの?」
「がんばってね」

「高校生になるには、入試があるからね。」
「合格するには、どうすればいいの?」
「青い目にならなきゃね」
「どうしたら青くなるの?」
「がんばってね」

「高校生になるには、試験に合格くしなきゃね」
「合格するには、どうすればいいの?」
「点数をとらなきゃね」
「どうしたら、点数がとれるの?」
「いっぱい勉強してね」
「うん。勉強する。いっぱい勉強する。だから、高校生になりたい」
「がんばってね」

そうして、何を言われても、どんなにいかさまな制度でも、
本当に、この世は「公正・公平」だと信じている子どもたちを、
この世に正義があることを信じている子どもたちを、
その子どもたちが、知的障害であることをいいことに、
いつまでもだまし続ける社会。
それが、いま、私が暮らしている平和な、公平な社会だ。

そこで、ほんとうにがんばっている子どもの気持ちを、
感じてもらうために。
私はその表現がほしい。

ナルホド!!サトウ先生、よ~くわかりました怒ってるぞ




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