2011年03月05日

mamaはフツウの母なんだけど~

mamaはフツウの母なんだけど~

3月3日は、maーちゃんの高校の卒業式だった。maーちゃんは小学校の時にお医者さんだったお父さんをガンで亡くした。ma-ちゃんにはお兄ちゃんとお姉ちゃんがいてお兄ちゃんとcocoちゃんは小中学校と同級生だった。お兄ちゃんはお父さんと約束した消防士になって、同級生と結婚して今では赤ちゃんもいる。おばちゃんは大学生・高校生・小学生だった三人の子どもをおじちゃんが亡くなってからは一人で育てた。末っ子のma-ちゃんもめでたく高校を卒業して4月には大学生になる。
おばちゃんは、cocoちゃんと同級生のmiーちゃんのmamaがつくってくれた生花のコサージュをつけて卒業式に出席した帰りに、あまりにきれいなコサージュなので、mamaに見せに来てくれた。
mi-ちゃんのおばちゃんは、mamaに生花のコサージュの作り方を教えてくれたので、私たち娘の学校の卒業式にmamaは生花でコサージュを作って襟元に飾って出席していた。

あの頃を、懐かしくmamaは思い出していたみたいだピカピカ

ma-ちゃんのおばちゃん、子育てがんばったね、おめでとう!!ハート

mamaたちは、自分の子どもだけでなく、みんなの子どもたちの幸せを願っているメロメロ

~ひさびさ、ワニなつノートから・・・・

社会的入学とTくんの笑顔  この子がさびしくないように
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社会的入学とTくんの笑顔


『「べてるの家」から吹く風』の最初に、中国の精神障害者をルポした写真集のことが書かれています。

【…10億人を超す中国では、かつて精神病院は体制に従わない政治犯や知識人を収容し、思想改造を迫る装置としても用いられてきた。そして、今も高度経済成長という発展の陰で精神病者は「忘れられた人々」として悲惨な状況に置かれている。

しかし、日本の精神病院の病床数が、その中国をはるかに上回っているとい事実は、意外に知られていない。世界の精神科病床の約二割は日本に集中しているといわれている。
世界中の国々が精神科病床の削減に取り組むなかで、高度経済成長の足手まといになるといわんばかりに、日本だけが病床を増やし患者を収容し続けてきた。

今や入院患者33万人のうち、私の感触では6割以上の患者がいわゆる社会的入院・・・地域に受け皿があればいつでも退院可能な患者・・・という状況となり、病院は「医師・看護師付きの下宿」と化した。国際的にもWHOから改善を勧告されるほど大きな社会問題となっている。】

       □     □     □


途中までは、「精神障害」の人たちの状況を思い浮かべながら読むのですが、「社会的入院」という言葉で、いつも「子どもたち」の方へスイッチが切り替わります。

「社会的入院」という言葉、それが私の頭の中で、「社会的入学(通級)」という言葉に変換されるのです。

「地域に受け皿があればいつでも退院可能な患者」
その人たちの状況を、「社会的入院」というなら、「地域の普通学級に受け皿があれば、いつでも入学可能な子ども」たちは、「社会的入学(通級)」と言えます。

本当は、地域の小学校に通いたい。
可能なら、普通学級でみんなと一緒に学びたい。
そういう願いを持たない「子ども」がいるでしょうか?
そういう願いを持たない親がいるでしょうか。

それに反対する特別支援教育の関係者や教育委員会の人たちは、よく「みんな一緒」は「理想」だと言います。そして、「でも現実にはまだ環境が整っていない」「まだ早い」と、結局は多くの子どもたちを特別支援教育に囲い込むのです。

ほとんどの場合、子どもには「決定権」はありません。それどころか「意見表明権」さえありません。この件に関しては、親にもその権利がありません。

子どもには「教育を受ける権利」があり、親には子どもに「教育を受けさせる義務」があります。

それなのに、どの学校で教育を受けたいかを決める権利が、当事者である子どもにも親にもない。
そんなおかしなことが教育の世界では、当たり前とされています。
山崎恵さんの裁判もそうでした。
《どの学校に措置するかは「教育長」の権限であり、どの学級にするかは「校長」の権限だと。
だから、親と子どもの主張は通らないという判決。》
判決もおかしいし、裁判の基準となる「法律」もおかしいのです。

考えたら、最近は、学区を越えて学校を選択できるところが増えています。いわゆる「学校選択」という言葉が当たり前のように言われます。
しかし、その選択する権利を使えるのは、障害のない子どもたちだけで、相変わらず、障害児は「就学時健康診断」等で、分けられます。
やはり、選べないことも、無理矢理選ばされることも、障害者差別なのです。

そんな社会のなかで、Tくんは、小学校2年生で、特殊学級に移されたのでした。
でも、Tくんは、普通学級に戻りたいという希望をあきらめませんでした。
みんなと一緒の場所に帰るために、ずっとずっとただ願い続けたのです。希望を持ち続けたのです。自分に準備された「学級」を、ここは自分の居場所ではないと、拒み続けました。
あきらめて、そこで順応するのではなく、自分の希望をにぎりしめて決して手放しませんでした。
特殊学級の先生から、病院に行って薬を飲むようにいわれても、実際に病院で薬を飲まされても、そして、彼が希望を捨てないことで逆に増え続ける薬の量にも負けず、彼は「みんなと一緒の場所」を求め続けました。

彼が、7歳から願い続けた場所に戻れたのは、中学3年の12月でした。
そして、この2月、普通高校を受験し、見事に合格しました。

8年間、希望を持ち続けたこと。
8年間、みんなと一緒をあきめなかったこと。
私は彼の希望の強さ、思いの強さを心から尊敬します。

そして、こうした場面で、私が間違いやすい落とし穴は、「親がもう少しがんばってくれていれば…」と思ってしまうことです。
確かに、今は親が意志を貫けば、普通学級に入ることも、特別支援級から普通に転籍することも、制度上は可能です。でも、それはあくまで「意志を貫く」根性?がなければなりません。相談会で、最後まで私の話にうなずいて聞いた後で、「でも、それは『逆らう』ことになりますよね」と言ってさびしそうに帰っていく人がいました。

去年の、全国連の全国交流集会で、ある新聞記者の方が、熱心に取材にきていました。普通学級を希望する親の声を聞きたい、ということでした。交流会の後、全国各地の人が集まり、思い思いに「普通学級」について語りました。
でも、そこでの話は、私も含めて、運動的な話しが強くなります。
翌日、その人と話したとき、もう少し「ふつうの親の声を聞きたい、ふつうの親の思いを知りたい」と言われ、言われることの半分はわかりながら、残りの半分はずっと引っかかっていました。

「みなさんの話はよく分かるけど、聞いていると、それでは『運動をする親』『強い覚悟をもった親』でないと、普通学級には行けないことになる。そうではなくて、ごくフツウに、普通学級に通わせている親の話を聞きたい…」というようなことでした。

場所が全国集会の会場で、それなりに活動してきた人、運動してきた人が多いのだから、そういう意味では確かに「ごくふつうのお母さん」というのとは違うかもしれません。
でも、残りの半分で思うのです。

強くなく、覚悟もなく、ただ一緒がいいなあと思うだけで、子どもを普通学級に入れられる親がいるだろうか?と。

どんなに、ただのふつうのお母さんに見える人でも、どんなに弱々しく見えるお母さんでも、教育委員会や先生に一言も反論できず、うつむいているお母さんでも、
「子どものためには、どうしても譲れない思い」を、ちゃんと持っているお母さんでなければ、いま、障害のある子どもを、特に重い障害のある子どもを、普通学級に通わせ続けることはできないと思うのです。


だから、あの記者の人は、どうしたって、そんな「お母さんの」話を聞くことはできないような気がするのです。

話がそれました。
最初にお母さんからT君のことを聞いたときも、薬をいっぱい飲んでいることを聞いたときも、私の心の中ではつい、「お母さんがしっかりしなきゃ子どもを守れないよ」と思うのです。いえ、心の中では、もっと強くお母さんに対して、「ちゃんと子どもの思いを聞いてあげろよ」と強く思ってしまうのです。「学校の先生や医者の言いなりに、薬なんて飲ませるなよ」と思うのです。
もちろん、直接責めることは言いません。言わないけれど、やはり「思ってしまう」ことは、あります。

でも、それは、私の「まちがい」だと思うのです。
高校の合格発表の日、受験した子どもたちはみんな県教委に集まります。
合格した子は合格の報告をします。その後、不合格の子は、どうして不合格なのか、そして次の受験に向けての話が延々と続きます。

毎年思うのですが、普通なら、合格した子どもは早く家に帰って、お祝いしたいだろうと思うのです。家でのんびり、ほっとしたいと思うのです。でも、毎年、合格した子どもは、不合格だった子どもと並んで、暗くなるまで話し合いの場所にいてくれます。「みんなが一緒に合格するのでなければ喜べない」と、そこにいる姿でわかります。

そのなかでT君が、発表までの緊張と一日の疲れのなか、あくびを抑えているときに、となりのお母さんと目が合った時に、照れくさそうに笑った顔をみたとき、私は思ったのです。
「ああ、大事にされてきたんだな」

障害あるから特殊学級にいけと、小学校1年生で言われ、特殊学級の担任からは病院に行って薬を飲ませろと言われ、子どもは学校に行かなくなり、そんな苦労の年月の中で、ああ、この子はお母さんに大事にされている思いを抱き続けてきたんだなと思いました。
すべては、子どものためと信じて、特殊学級に移り、子どもを大事に思って薬をのませ、子どものために、いろんな機関を回ってきたのです。

そのお母さんの自分への思いを、この子は感じてきたんだなと思いました。
そうでなければ、お母さんと目があった瞬間の、彼のあの笑顔はあり得ないよな、と思うくらい、すてきな笑顔でした。




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