2008年03月17日
平本歩さん(パクパクっ子)の父、平本弘冨美さんのこと・・・

表紙は、「赤ちゃんの歩ちゃんを囲む家族の写真」と「山男だった弘冨美が大好きな山の絵」がレイアウトされています。
尼崎市在住、人工呼吸器をつけて高校生にもなった歩さんのお父さんが、昨年、2006年5月5日に肝臓ガンで永眠されました。
そのお父さんの『平本弘冨美さんと語る会 皆様からのメッセージ集 (2006年6月24日) 』を、昨年8月、愛媛で開催された「障害児を普通学校へ・全国連絡会 」全国交流集会の時にいただきました。平本さんのことをできるだけ多くの人々に知ってほしいからと・・・。
たくさんの方々が、メーッセージを寄せてくださっています。その中から、紹介させていただきたいと思います。
小山 師人さん(ジャーナリスト フランスから)
平本さんとの思い出
平本さんが亡くなってちょうど1年が経った5月初め、フランスでは大統領選挙の候補者のテレビ討論会が行われていました。右派のサルコジが「障害児を地域の学校へ入れるようにしたい」と言い出したとき、左派のロワイヤルが怒りだしました。
「私が初等教育大臣のときに実現させたのに、あなたがたの内閣が廃止したんじゃないですか。今になって、それを言い出すのは、政治的利用です」
その剣幕に押されてサルコジは
「まあまあ、マダム、そんなに怒るのは、大統領候補としては、いかがなものか」
「私は怒る権利があります。私の怒りは健康的な怒りです」とロワイヤル。
結局
選挙ではサルコジが勝ったのですが、ロワイヤル夫人の、「健康的な怒り」という言葉が胸に残りました。
今の日本では、どうでもいいことにすぐキレる人は多いが、大切なことには怒らないようです。
平本さんは、普段は静かですが、交渉の場で、ときに怒りを込めた言葉がでました。人を差別したり、踏みつけたりする相手への怒りです。今、私達に必要なのは、平本さんが持っていたような「健康な怒り」ではないでしょうか。
平本さんとのつきあいは長いのですが、なぜか記憶に残っているのは、比良山に家族連れでスキーに行ったことです。25年以上前で、まだ歩さんが生まれていないときでした。
普段難しい議論を重ねていた平本さんが晴れ晴れとした表情で、山を楽しんでいる様子が印象的でした。
それから何年かして、平本さんが僕に会いにNHKに来てくれました。そこで初めから平本さんは歩さんのことを僕に話し、病院から家に帰し、育てたいと真剣な表情で言いました。1990年のことだと思います。
それから歩さんの取材が始まりました。退院、保育所への入園、小学校入学、立山登山、北海道旅行、そして高校入学、それぞれの取材について何を聞いても平本さんは親切に教えてくれました。平本さんとの打ち合わせは、腑に落ちることばかりでした。
その平本さんがいないことは、とても寂しいです。家族はもちろん、一緒に運動を担っただれもがそう思っているでしょう。これからは、それぞれが自分の歩む道を考えて進まなければなりません。でも、困ったときは、空を仰いで平本さんに聞いてみたら、きっといい答えを授けてくれるでしょう。

*1992年、歩さんは小学校に入学しました。お父さんは、以後12年間、高校卒業まで、付き添いました。2004年、歩さんが高校を卒業後、予備校にも付き添っていました。
Posted by ももこ at 10:56│Comments(0)