2016年04月27日
ももいろタンポポ
黄色じゃないんだよね~、このタンポポ
このお花も、かわいいでしょう
今日の授業は、ワニなつ先生です。
手をかすように知恵をかすこと 2014 (メモ2)
21世紀のいま、子どもが気管切開をしていたり、人工呼吸器をつけていても、医療的ケアという支援を受けながら、あたりまえに学校に通える時代になりつつある。彼らが15歳になった時、たとえ自分で呼吸ができなくても、全身を動かすことができなくても、指や舌や瞳で会話する支援を受けて高校生になることができる。
そうして99%の15歳があたりまえに高校へ行く時代。知的障害の子どもだけが、その道を閉ざされる。授業料を無償化し、障害に応じて点字や手話やエレベーター、人工呼吸器に看護師の配置まで支援して99%の子どもたちの高校生活を保障しつつ、知的障害の子どもには、空いている席にも座らせない。
私たちは、知的障害の子どもを、どのような子どもだと思っているのだろう。なんの努力もせずに、なにも考えず、遊んでばかりいたから、漢字も読めないと思っているのだろうか。小学校中学校の9年間で何ひとつ学ばなかったから、勉強ができないと思っているのだろうか。知的障害だから、何も分からず、何も感じず、何も学べないと思っているのだろうか。義務教育じゃないから?点数が取れないなら仕方ない?もし99人の子どもが1人の子どもとしゃべらず、仲間外れにしていたら、この社会の大人は、学校の先生は、子どもたちに何を話すだろう?いじめじゃない、その子がしゃべれないのだから仕方がない、と子どもたちがいうとき、大人はなんと答えることができるだろう。
◇15歳までの人生で、障害や貧困、虐待などの事情で、安心して勉強できる環境になかった子どもたちがいる。15歳の時点で、勉強ができない、といわれる、その1%の子どもたちの状況は、どう考えても、その子の責任ではない。子どもが自分一人の努力や力でがんばって克服できるものではない。障害や病気などの制限の中で、ひとりの子どもがどれほど真摯に生きてきたかを、点数で測ることはできない。その過酷な環境のなかで、どれほど懸命に生きてきたのかを知らず、点数だけで子どもを値踏みすることは教育ではない。その1%足らずの子どもを高校生にしないように、計画進学率、高校統廃合、入試制度は設計されている。99%の15歳があたりまえに高校へ行く時代。1%の子どもだけが、その道を閉ざされる。
私たちは、知的障害の子どもを、どのような子どもだと思っているのだろう。わたしが出会ってきた子どもたちはみんなふつうの子どもだった。見えない子も、聞こえない子も、歩けない子も、呼吸器をつけている子も、自閉症の子も、筋ジスの子も、ダウン症の子も、障害の違いがあるだけで、どの子も6歳のときには6歳の子どもだった。10歳のときには10歳のこどもだった。そして15歳になれば誰もが「こうこうにいく」と言った。
Posted by ももこ at
11:43
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2016年04月26日
「五歳のラビ」と「桃色たんぽぽ」
ラビは発言する時に、自分で手をあげられないので、支援してもらって発言します
5年前の春、mamaはめずらしい桃色たんぽぽを咲かせました
Posted by ももこ at
07:05
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2016年04月25日
「香川県立浪人生高等学校」12年生のらびです。
藤の花がきれいな季節になりました。
今年も高校浪人をすることになりました。
この一年間のmy teacherは、高校教諭の資格を持ったセンセイは、高校教育課の先生たちと受検する高校の先生たちです。
そして、ワタシを応援してくださっている方々を、my teacherとして、今年もがんばるラビ
ワタシの大好きなワニなつ先生の文章を紹介しましょう。
高校の受験と、大学の受験は、まったく違います。
高校の進学率は限りなく100%に近い数字です。
中学生の人生、実生活の中で、「中卒」という現実に出会うことは極めて稀です。
それに対して、短大は6%、大学も50%前後です。
それは「自分で選んでいい」というのが、誰の目にもあきらかな数字です。
私は、大学にも、知的障害のある人が学んでいたり働いている方が、豊かな研究ができると信じていますが、それはまた別の話。
高校で教育の仕事をしているにも関わらず、「高校受験」と「大学受験」の違いが、まったく分かっていない先生が大勢います。
「試験の点数」を取れなければ、不合格は当然、という「常識」を身につけすぎたことで、「差別」に鈍感になる人たちがいます。
試験の意味も、選抜の意味も、考えることができないのでしょう。
高校受験と大学受験の違いのいくつか。
高校は、後期中等教育といって、中等教育にあたります。
世界の子どもの人権の一つに、教育を受ける権利があります。
子どもには、誰でも、教育を受ける権利があります。
その教育とは、初等教育、中等教育です。
そして、これらの教育は、「無償」で受けられることが望ましいと世界中で考えられています。
ようやく日本でも、去年から高校の授業料が無償化されました。
(*この文章は、高校の授業料無償化の翌年に書かれています。)
また日本は学校を建てられない貧しい国とは違いますし、子どもの数が減り続けていますから、高校の数が足りないことはありません。
建物はある。先生もいる。授業料は無償。
日本に生まれた子どもは、小学校、中学校、高校で、教育を受ける権利が保障される準備ができています。
実際、養護学校高等部では、希望するすべての生徒が、高校生になれます。
100%です。
大学生のあなたが生まれるずっと前から、養護学校に通う障害児は100%高校進学が保障されてきたのです。
いわゆる「希望者全入」です。
しかも、高校生活を保障するために「就学奨励費」も支給されます。
就学奨励費の中身は以下のようなものです。
「手厚い」教育というのは、こうした面では本当です。
①教科書購入費、②学校給食費、③通学費、④帰省費、⑤職場実習費、⑥交流学習費、⑦寝具購入費、⑧日用品等購入費、⑨食費、⑩修学旅行費、⑪校外活動費、⑫宿泊学習費、⑬学用品購入費、⑭新入学用品費、⑮通学用品購入費
そう、学力テストの「点数が取れない」障害があっても、初等、中等教育は保障されるのが当たり前だから、この国では、普通学校よりお金のかかる養護学校を建設し維持しています。
私が不公平だと思うのは、養護学校ではなく、ただ兄弟や地域の友達と一緒に学びたいと、普通学級で教育を受けて、義務教育を終えた子どもたちだけが、高校への道を断たれ、切り捨てられていることです。
「障害」があるから不合格は、差別です。
では、障害のために「できない」ことを、理由にして不合格にするのは、なぜ「公平」と言えるのでしょうか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
Y君は前期入試で、地域の全日制高校を受験しました。
2倍近い倍率で、不合格でした。
残念ですが、それはそれでありだと私は思います。
私は、障害児だから第一希望がかなうのが当然だと思っているわけではありません。
幸い、前期試験では、クラスの仲間の半分が不合格になります。志望校に落ちて、悔しい思いをすること、悲しい思いをすることもありだと私は思います。
後期入試でも、Y君は同じ全日制高校に挑戦しましたが、不合格でした。
この時点で、進路の決まっていない子は、ほとんどいません。
そして、この数日後が中学の卒業式。
卒業式の日に、進路が決まっていない生徒は、ほとんどいません。
「卒業おめでとう」という言葉が行き交うその日、行き場のない子どもの不安はどれほどのものでしょう。
卒業式の後、二次募集があります。
Y君は、定時制高校を受験しました。
受験者は定員以下でした。
しかし、Y君は不合格でした。
3月末、Y君は、最後のチャンスである「追加募集」の受験に挑戦しました。
20人募集の定時制高校で、受験者は2名でした。
これでようやく高校生になれると、私たちは願いました。
結果は不合格でした。
合格は一人。
定員はまだ19人空いています。
1クラスのまだ半分は空席です。
不合格の理由は、点数が取れない、からです。
それは、障害がある、から、ということに他なりません。
香川のらびさんは、8年間、定員内不合格という差別を受け続けています。
今年も高校生にはなれませんでした。
(*今から5年ほど前の文章です。今でもワタシは高校生になれていません)
席が空いているバスや、レストランで、肌の色が違うからと、座ることを許されなかった社会と、これは何が違いますか?
肌の色という理由は差別で、試験で点数が取れないのは、「正当」だと、高校の校長が自信をもっているこの社会は、アパルトヘイトと同じです。
子どもの教育の仕事をしている人が、子どもの成長に関わることを生業としている人が、定員があいているのに、席があいているのに、つきあいたくない、座らせたくないからと、追い出す理由が、「点数」であり、学力である、ということ。
そして、その相手は、その「点数」をとることに「障害」がある子どもなのです。
これを不公平というのだと、私は思います。
Y君や、障害のある子どもたちが、「かわいそう」なのではありません。
私は、こんな「いかさま」で、ごく一部の子どもたちを、だましている社会に暮らしている自分が、悔しいのです。
「高校入試は公平だよ」
「受験する機会は、誰にも平等だよ」
「養護学校高等部なら、誰でも入れるよ。希望者全員、高校生になれるよ。高校生になりたいなら、養護学校に行きなさい」
その仕組みの中で、どれだけの親子が、「養護学校」を「選ばされている」ことか。
子どもに「教育」を受けさせてあげるために、親があきらめなければいけないものが、「地域」であり、「地域の友だち」、「兄妹とは別の小学校」です。
高校入試の話は、単に、「試験」の話ではありません。
「にんげんにとって
ほんとうのまずしさは、
しゃかいにみすてられ、
じぶんはだれからも
ひつようとされないとかんじることです」
(川口武久)
「障害」のある子どもが、小学校の6年間を同級生たちと一緒にどのように生きてきたか。
中学の3年間を仲間のなかでどのように生きてきたのか。
そうした暮らしの一秒さえ理解できず、「定員」が空いている教室の椅子を平気で片づける校長という人間が、「にんげんとして、ほんとうにまずしいにんげん」だということは確かなことだと、わたしは思います。
Posted by ももこ at
05:27
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2016年04月23日
「365日の紙飛行機」練習しています♪
*この楽譜は4年前に弾いた曲「うみ」です。
恒例の七夕コンサートの私の独奏曲は、「女子にも高等教育が必要!」と日本で初めての女子大学を創立した広岡浅子の物語「あさが来た」の主題歌「365日の紙飛行機」です。
あさは1849年、ワタシ1989年の10月生まれ、140歳の年の差です。
江戸・明治・大正を生き抜いたあさ、「九転十起」の人生だったそうな。
平成生まれのワタシは、「知的障害といわれる人にも、高校教育は必要!」と、「二十四転二十五起」の人生をめざします
♪♪~その距離を競うより
どう飛んだか どこを飛んだのか
それが一番 大切なんだ
さあ 心のままに~♪♪♪
https://www.youtube.com/watch?v=UO6FY4kJ4Y4
Posted by ももこ at
12:57
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2016年04月08日
昨日は、雨!入学式の日デシタ。
昨日は高校の入学式の日でした。
ワタシは今年も合格しなかったので、神様がワタシのために泣いてくださいました。
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%94%84&tid=21adaa4c219b0f87ebed9eaa836ffbb8&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1
写真は4年前の弘前城の桜です。グッドタイミングの東北旅行でした。
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16:02
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2016年04月01日
☆☆女子会☆☆参加★
不合格発表の次の日。mamaの女子会があった。その会にワタシも招待されていた。
mamaはテンシノオヤブンをやっていて、そのメンバーたちの集まりだ。もし、合格していたらみんなの前で、ワタシはカミングアウトするつもりだったけれど・・・・・。
テンシノオヤブン1号には、セラピー犬として育てられた、ラブラドールとプードルの良いところを受け継いだTAークンがいる。
ランチの前にテンシノオヤブン1号宅で、TA-クンと遊んでこの悲しみを癒してもらった。
テンシノオヤブンたちが、教えている原則は、①安心安全に暮らせること②自立を支援すること③個人の尊厳をまもることです。
どうして、高校教育は、ショウガイノアルワタシの個人の尊厳をまもってくれないのだろう。分離の時代は終わったのに・・・。
社会参加を進めなければならないのに・・・。
ハヤク人間にニナリタイヨ~
12年間24回もお受検ていると、サスガにワタシを奇異なまなざしでみるセンセイはいなくなったけれどね
Posted by ももこ at
06:56
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2016年03月30日
Green girls
ワタシタチは、ケッシテふざけていません
かつて、「ふざけるな」と、書かれたことがあります・・・。
知的障害者と言われている人も、高校に入学し卒業しています。他県では多くの実績があり、香川県でも実績があります。
障害者の権利条約を批准にあたり、障害のある人とない人が共に生きられる社会を構築するために法改正を行いました。高等学校入学者選抜実施細目には、知的障害者を選抜してはいけないとは書いていません。
今回受検した2次募集では、11人受検して6人合格、5人が定員内不合格でした。一般入試で13人合格だそうで、募集定員40人なのに、合計19人の合格者で欠員が出たままです。
ちなみに、3年前からこの高校で始まった秋募集の合格者数を聞きました。
25年度0人(私もこの時受検しました。5人ぐらいいたと思いますが、みんな落とされましたワタシ以外は中学校の制服を着た子たちで、みんな新たなスタートに震えながら受検したと思いますが、先生たちは子どもの立場になって教育を受けさせたいと誰も思わなかったようです。)
26年度1人、17年度0人だそうです。
中学校校長会からは定員内不合格者を出さないでほしいという要望書が出されているようで、高校教育課からも定員を確保するようにと言われているようですが、今までどおりの選抜をしたようです。
障害による特別措置では、昨年まで認められなかった代読、面接時での介助員(障害者総合支援法でのヘルパー派遣)の支援が認められました。この願いは今回初めて出したものではなく、昨年も出していて、ワタシは言語が不自由なので初めて会った人には、コミュニケーション保障として必要であると言う事が、今回初めて認められたわけです。時代は、後戻りしません、前に前進しているのです。しっかり現状を理解していただきたいです。
香川県教育委員会にも、身体障害の方が、4月から雇用されるそうです。昨日、ワタシが受検した頃から教育委員会で10年以上勤務されていたセンセイがやっと現場(高校)にご栄転となりました。様々な難問も解決していただいたと思っております。ワタシは、まだ、香川県立浪人制高等学校に在籍していますが、センセイは新しい職場で良いお仕事をしてください!ワタシたちが帰るとき、センセイはいつものようにエレベーターまで見送ってくれました。
ワタシは、初めてセンセイに手をふってお別れしました。「センセイ、サヨウナラ、イママデアリガトウゴザイマシタ」
法定雇用率
常用雇用者数に対する障害者の割合。障害者雇用促進法に基づいて、民間企業・国・地方公共団体は所定の割合以上の障害者を雇用することが義務付けられている。
[補説]
障害者雇用率は政令で定められ、少なくとも5年ごとに見直される。平成25年(2013)4月以降は、民間企業(従業員50人以上)で2パーセント、都道府県等の教育委員会で2.2パーセント、国・地方公共団体等で2.3パーセントと規定されている。
<ワニなつノートより>
0点でも高校へ 2010
この言葉を正面から掲げて、我が子の受験に向かうということ。
それは、「一人」でできることではありません。
高校受験で「0点」の子など本当は一人もいないのです。
小学校中学校9年間の義務教育を終えて、子どもたちは高校受験に向かいます。一度のペーパーテストのみで合否を判定する高校はないでしょう。仮にペーパーテストが0点の子どもがいたとして、その子には中学からの内申書等の書類が提出されています。ほとんどの高校が面接も行います。千葉のように「自己申告書」の制度があれば、そこに障害のことや不登校の理由を記入することもできます。
そこから、一人の子どもが6歳から15歳の間に学んできたものを真摯に推し量れば、その子どもの受験に0点がつくことはありません。
大真面目にこの子の9年間の学校生活での学習の結果が0点だと評価する高校の教員がいるとしたら、その人には子どもの教育を語る資格が0点だと自白しているにすぎません。
高校での教育は、「後期中等教育」であり、子どもの人権として保障される範囲の基本的な教育です。その証拠に、昭和24年に「文部省」はこう言っています。
「入学者の選抜を望ましいものであるという考えをいつまでももっていてはならない。」
「選抜はやむをえない害悪であって、経済が復興して高等学校で学びたいものに適当な施設を用意することができるようになれば、直ちになくすべきもの」
「高等学校はその収容力の最大限度まで、国家の全青年に奉仕すべきものである。」
そして2010年には、ようやく「高校の授業料無償化」ということが「国民の常識」として違和感なく受け入れられるところまできました。これらは、この国に生まれた子どもに、小学校から高校までの12年間の教育を無償にして、すべての子どもたちに「学ぶ機会」を保障しようということです。「この国に生まれた子ども」に、制限や条件は本来ありません。どの地域に生まれても、肌の色や髪の色、人種や宗教の違い、障害によって差別されるものではありません。その証拠に、養護学校の高等部は20世紀のうちに、「希望者全員入学」が実現されているのです。
いま、この国で、「本当に高校に行きたいのか?」と問われるのは、普通学級の障害児だけです。
もちろん、中学や進学塾でも、子どものやる気を起こさせるために、「自分の意思」で「自分のため」に行くことを強調することはあるでしょう。でも、他のほとんどすべての子どもたちは、「高校に行かない」と口にしたときに、親や先生から本気で詰め寄られるのは「どうして、高校に行かないのか?」ということです。
こうした状況の下で、私たちはあえて「0点でも高校へ」と言い続けます。それは、一人の子どもを「0点」という「目」でしか見られない学校への異議申し立てであり、子どもを点数でなど絶対に切り捨てないと言う意思表明です。
それは、すべての「0点」と見なされる子どもたちと共に闘うことであり、一人でできることではありません。
テストの点数が0点であること。それは、人として一つも恥ずかしいことではありません。
視力障害のために、目に見えるものが何もないことが、恥ずかしいことではないように。
聴力障害のために、聞こえる音が何もないことが、恥ずかしいことではないように。
身体障害のために、自分の足では一歩も歩けないことが、恥ずかしいことではないように。
知的障害のために、漢字が読めないこと、計算ができないことは、人として一つも恥ずかしいことではありません。
そして、その障害に何一つ配慮も工夫もない、「学力試験」を課して、「0点」という数字が出たからと言って、この子が何を恥ずかしがる必要があるというのか。
この試験を受けなければ高校生になれない、そういう制度だから、そういう世の中
だから、この子はちゃんと試験を受けたのだ。
結果が0点。
それは、見えない人に、視力検査をして、0点をつけるのと同じ。
聞こえない人に、聴力検査をして、0点をつけるのと同じ。
車椅子の人に、歩行テストをして、0点をつけるのと同じ。
この子は、小学校に入る時から、この障害を持ちながら、みんなと一緒に学校生活を送ってきて、9年間の学校生活を通して、一緒に学び、一緒に成長してきたのだ。
だから、いま、ここに、高校受験と言う、この子の障害にとってだけ配慮のない、理不尽な場に、堂々と立つことができるのだ。
それは、小学校、中学校を通して、障害のあることは人として一つも恥ずかしいことではない。その自信と安心を、小学校中学校の教育とそこで共に学ぶ仲間が、教えてくれた大切な財産であり、最高の教育の結果だと言えます。
0点でも高校へ。
いまの日本の現実の教育制度の中で、こんな素敵な言葉はありません。
Posted by ももこ at
07:57
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2016年03月29日
2016年03月27日
らびは、今も、扉の前にイマス!
2011年2月、5年前、5歳のラビです。扉の前で待ってました
https://www.youtube.com/watch?v=Kk-n6KYEXHE
外から開けているんだけど、なかなか中から開けてくれナインデス・・・。
オトナたちよがんばってね
いっしょにがんばろう
https://www.youtube.com/watch?v=2rLraPLoBpI
Posted by ももこ at
08:23
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2016年03月26日
昨日、無事にお受験しました。
昨日は、二次募集の定時制の受検の日でした。今年から、障害による特別措置で、代読、面接時の介助員(障害者総合支援法でのヘルパー派遣による)が認められました。少しずつワタシのショウガイが何であるか、理解が深まったようです。
メチャうれしかった事がありました。中学校1年生の時の担任の恩師が、生徒の引率で来られていたのかお会いする事ができました。先生には、とってもお世話になりました。ワタシが2年生になる時に、異動になられたので1年間のお付き合いでした。年賀状は毎年出しているので、最近ワタシの母校に帰られていると聞いていました。
センセイは、試験が始まる前に励ましてくれて、終わってからも、「がんばったね~!」と、ほめてくれました。教育の基本は、学ぶ者に寄り添いほめることだとつくづく思います。センセイは本物の教育者です。ありがとうございます。
だが、mamaはホントウにドジな人間で、朝、センセイだと分かるや、ビックリポンの感激のあまり、センセイの肩を思わず力強く叩いてしまったという、ホンマニドジな情けないmamaでした。そんな、再会の挨拶をした後、(ホンマ、mamaは子どもやなあ)、カオリンにしっかりヘルプされているのを見て、そそくさと高松へ仕事に行きました。
mamaは、自分でも言っていたけど、「ただがむしゃらに12年間障害のあるらびを高校生にするべく、がんばってきた。」そうです。
その間、学んできた、mamaの恩師は”ワニなつノート”です。インクルーシブ教育を望んでいる障害のある人を、「高校教育で捨てさせないため」に、これからもがんばるそうです。
3浪中のあーちゃんも、がんばったね。2次募集は受検しなかったけれど、次の受検はがんばるもんね
この4月から、「障害者差別解消法」が施行されるからね
①ある日の”ワニなつノート”より
「分ける教育」から「捨てる教育」の完成(その5)
《この国に生まれたるの不幸》
私は養護学校も反対ですし、高校の選抜制度も反対の立場でした。
養護学校は「分ける教育」として機能しているからです。
選抜は、「捨てる教育」だからです。
そして、今、「高校選抜制度と特別支援教育」の連携は、
私の考えを超えて、桁違いの「愚かさ」で進行していました。
「養護学校義務化」には、それまで就学を
「猶予・免除」されていた何万人の子どもたちに「教育を!」
という面がありました。
私が6歳のとき、同じ年の子どものうち、
2万2030人の子どもが「就学猶予・免除」されていました。
その学校に行けない子どもをなくすためには、
前進だったのかもしれません。
そのころ、障害のある子どもたちは、
「座敷牢」に閉じ込められていました。
「座敷牢」とは、家族が勝手に障害児を隠した、
というのではありません。
1900年の「精神病者監護法」のもとに、
「家族の責任」において座敷牢に閉じ込めさせていたのでした。
「障害児」と「精神障害」は違うと思う人がいたら間違いです。
少し前まで、「精神薄弱児」や「てんかん」、
「脳性マヒ」も含めて、社会は「精神障害」として
扱っていました。
1950年の精神衛生法施行で、
「座敷牢」は禁止されました。
ということは、1950年までは
法律で定められていたのです。
そして、法律で禁止したからといって、
それまで座敷牢に閉じ込められていた子どもが、
すぐに表に出られる訳ではありません。
就学すら免除されたままです。
そうして、「座敷牢」は70年代にもありました。
養護学校義務化とは、
「座敷牢」に閉じ込められる子どもをなくすため、
だったとも言えます。
それは、「教育」以前の、生存の話、人権の話でした。
「私宅監置」として座敷牢に閉じ込めさせたのは、
明治時代に「精神病院」がなかったからです。
だから、座敷牢はなくなったかもしれませんが、
施設代わりに精神病院に入院させられている知的障害者は
今も数多くいます。
私の妻が働いている病院には「何人くらいいる?」と聞くと、
すぐに数字を教えてくれました。
ほとんどが50歳以上だといいます。
私より、上の年齢。
つまりは、座敷牢があった時代に
子ども時代を過ごした人たちです。
「この国に生まれたる不幸」という言葉を
聞いたことがあるでしょうか。
1918年、東大教授だった呉秀三は、
座敷牢に閉じ込められた人たちの状況に憤慨し、
「教室員を動員して1府14県の私宅監置の実例
(105例)を報告書にまとめている。」
その本の最後に、こう書かれています。
「…全國凡ソ十四五萬ノ精神病者中、
約十三四万五千人ノ同胞ハ…
國家及ビ社会ハ之ヲ放棄シテ弊履ノ如ク
毫モ之ヲ顧ミズト謂フベシ。
…
我那十何萬ノ精神病者ハ實に
此病ヲ受ケタルノ不幸ノ他ニ、
此那ニ生マレタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云ウベシ。」
養護学校が義務化になったのは、1979年です。
障害のある子どもが、「学校に行くのが当たり前」になって、
まだたったの30年しかたっていないのです。
それ以前に生まれ、子ども時代をこの国で過ごし、
この国で教育を受けた人たちは、知りません。
同じ年頃の「障害児」が、
同じ子どもだったことを知りません。
同じ年頃の「障害児」が、
同じ教育を受けるのが当たり前だということすら知りません。
同じ年頃の「障害児」を、そもそも知りません。
そうした人たちが、作ってきたのがこの社会です。
タグ :東大呉秀三座敷牢生存権教育権
②ある日の”ワニなつノート”より
《高校の希望者全入はすでに成立していた!?》 (その1)
私は数字やお金の計算が苦手で、数字に関してほとんど考えないできました。
でも、ようやく私にも、その「からくり」がはっきりと分かるようになりました。
高校の「希望者全入」は、とうの昔に「成立」していました。
そこでは「定員」も「予算」もまったく度外視して推進されています。
私たちが二十数年闘ってきた『定員内不合格』も、そこにはありません。
校長が「誰ひとりとして切り捨てない」という理念のもと、「行き場のない子どもを作らない」という方針に応えて、「無理な受け入れ」をしてがんばっているのです。
つまり、行政的には、15歳の子どもの後期中等教育の希望者全入はすでに「実現」しているのだから、普通高校の「受験制度」を変えるつもりはないのです
それこそが「特別支援教育」の要だったような気がします。
◇ ◇ ◇
1.【高校の進学率】
高校に「入れてもらえず」、行き場をなくした子どもの問題。
それは、「定員」や「建物」「予算=お金」の問題などではありませんでした。
3月末の最終の追加募集まで受験して、高校に行けない子どもは、全国で1000人あまりです。
たった1000人あまりです。
05年度1098人、
06年度1007人、
07年度1005人、
08年度1222人、
09年度1174人。
その原因は二つでした。
A:「定員」が「足りない」場合。
B:「定員があいている」のに不合格にされる場合。
「定員が足りない」のなら、全国で1000人分の「定員」を増やせばすみます。
2010年、4月、東京都は300人の追加募集を行いました。2009年4月には、大阪府が追加募集で不合格になった人数167人分の追加募集を行いました。教育行政とは、こうした「救済策」「支援策」を行うことができるのです。
そうであれば、最初から、中学卒業生の数から、あらかじめ1~2%の子どもだけに「足りなくなるのがわかっている」「計画進学率」(進学率の推測値)を、あらかじめ策定するのが、間違いなのです。
さて、それでも、愚かな私は、その「計画進学率」を100にする壁は、高く堅いものだと思っていました。しかし、話はまたぜんぜん違いました。そんな壁は、はじめから「ないも同然」でした。
◇ ◇ ◇
2 【特別支援学校の生徒増加】
その証拠が、特別支援学校の生徒増加への対応です。
(※ ここで下記の提言書にそって神奈川の数字で話を進めますが、千葉でも状況は同じです。)
【養護学校過大規模化に関する提言】という文書があります。
これは、特別支援学校の校長会が県教委に出した要望書といえるものです。
平成20年12月25日
神奈川県教育委員会教育長殿
神奈川県立特別支援学校校長会 会長 鈴木文治
(略)
知的障害教育を行う特別支援学校への入学希望者の急増は…全国的な傾向となっています。
本県でも平成10年度から19年度までの⑩年間で、盲・ろう・養護学校全体の児童生徒数は4561人から6356人(139.4%)と1795人増加していますが、その大部分は知的障害養護学校への入学者の増加と見ることができます。
この間県は、…新設養護学校の建設に着手し、…しかし新設4校と新設知肢併置校の児童生徒数を合計しても657人と、前記の増加分を吸収するにはほど遠い状況です。
そこで窮余の策として平成16年度より県立高校等の教室を借りて「分教室」を作り対応を図りましたが、これも1学年15名の募集人員では平成19年度現在5校設置で実質137人にとどまり、結局この差の約1000人あまりの子どもたちは各養護学校が小中高ともに受け入れ枠を広げることにより、かろうじて入学希望者が行き場を失う事態を回避してきました。
◇
ここに書かれていることは、「特別支援学校の生徒の増加」という視点からだけ見れば、何が問題か見えなくなります。
朝日新聞の「教室が足りない!」「障害児がプレハブにつめこまれて、かわいそう」みたいな記事が書かれるのは、「そこ」だけを見るからです。
では、なぜ、こんなにも「障害児」が増えるのか?
「特別支援学校」も「教室」も増えているのです。それなのに、その数に追いつかないほど生徒が増えているのはなぜか?
答えは、そこが、いつのまにか「希望者全入」になっていたからです。
「普通高校」ではありません。「特別支援学校」、がです。
考えてみれば、新潟や山形の高校進学率が99%といっても、障害児の高校進学はぜんぜん進んでいないのです。つまり、「進学先」は「高等部」または「高等養護学校」なのです。
先の「提言」では、さらに次のような言葉が続いています。
「誰ひとりとして切り捨てない」という理念のもと、「行き場のない子どもを作らない」という方針に応えて、「無理な受け入れ」」をしてきたと。
私たちは、教育委員会に完全にだまされてきたようです。
普通の高校には「定員」があり、入学許可の決定は「校長」だと、言う言葉を信じてきました。
その「定員」は、「計画進学率」と呼ばれている数字は、「中学卒業者の人数」にあわせて、97%とかで「抑えて」設定し、高校に行けない生徒をあらかじめ準備してきたのです。
ところが、その一方で、この10年、いつのまにか「養護学校の高等部」は、「定員」を越えて(定員を無視して)、空き教室を使って、よその高校の空き教室まで間借りして、生徒を「受け入れて」きたのです。
中学の先生が、障害のない生徒を、養護学校の高等部に送り込む勢いは加速するはずです。
「普通高校」が難しい生徒を、そこに送り込めば、「進路指導」もOKで、しかも留年の心配もないのです。
そうして、じわじわと上がってきて、進学率が100に近づいてきたのでした。
◇ ◇ ◇
3 【お金がいくらかかっても、分ける】
ここで、不思議なのは、お金の問題です。
いわゆる普通の小学校、中学校の生徒一人あたりの教育費は60万から90万円です。
そして、養護学校の生徒には、一人900万あまり、(東京では1000万)なのです。
高等部でも、それに近い費用がかかっているはずです。
つまり、「予算」「お金」の問題など度外視しても、養護学校の新設にいくらお金を使ってでも、「普通高校を希望者全入」にだけはしたくない、という「力」が働いているのです。
そう、普通高校の「定員」を、中学卒業生が希望者全入できる程度の「定員枠」を設定し、予算をつけるよりも、莫大な予算が必要であっても、そうはしないで、「普通高校校の定員枠」を守っているのです。
そこまでして守りたいものはなんでしょう。
障害児が小学校の普通学級で、介助員一人つけるという話のときには、「一人のためにそんな予算はつけられない」というはなしがあるのに、その一方で「高等部」には、障害のない子どもが「養護学校」の高等部なら「希望者全入」で、「行き場のない子どもを作らない」というのです。
そこまでして「守りたいもの」はなんでしょう。
「普通教育のじゃまにならないように」
話はやはり、そこにつながってきます。
子どもの数は、減る一方なのです。
何万人、何十万人、何百万人の高校生徒が減っても、
どうしても1000人余りの「犠牲者」にいてもらう制度。
それが、「高校入試」でした。
その使える予算を、教育委員会はどこも、「普通高校を希望者全入」にすることよりも、もっとお金がかかってもいいから、普通高校に入れない生徒を作り出して、それを養護学校で引き受けて「予算」を使い果たしているのです。
なんて、ばかげたお金の使い道でしょう。
こうしたことを、この国は、全国各地で実施しているのです。
それは、「高校受験」という制度と、「養護学校」という分離教育の、行き着く先が、「いま」だということを表しています。
この文章を、私はいま思いつきで書いています。
あとで、きちんと整理して書き直したいと思いますが、これは間違いないと思います。
どうして、今まで分からなかったんだろう
Posted by ももこ at
05:26
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2016年03月19日
どこかで春が~♪♪♪
四月に坂出の老人ホームに慰問演奏にいきます。ワタシはヘルマンハープで4曲弾きます。
「どこかで春が」も弾きますよ
https://www.youtube.com/watch?v=AIxpEBHF1eo&index=1&list=RDAIxpEBHF1eo
愛知県の高校速報が届きました。
2浪の久野藍里さん名古屋市立中央高校 昼間定時に合格されました。
おめでとうゴザイマスワタシも来週の試験がんばります
愛知で2浪して高校に挑んだ、久野藍里さんが
ずっと受験を続けてきた高校に、5回目の入試で合格しました。
肢体不自由の重度の障がいがある藍里さんは、代筆や時間延長などの配慮が認められていましたが、今回の受験でこれに加え、空間認知の障がいにより、数学の図形問題を計算問題に置き換えと、下計算のための方眼用紙の使用が追加で認められました。
また倍率は、前期26年度 1.7
前期27年度 1.81
前期28年度 1.36
今回の倍率が少しさがったこともラッキーでした。
2年間、あきらめず努力を続けてきたことが花開きました。
応援いただいた皆さま、ありがとうございました。
全国の受験中の皆さまの合格をお祈りいたします。
愛知「障害児・者」の高校進学を実現する会
******************************
名古屋「障害児・者」生活と教育を考える会
愛知「障害児・者」の高校進学を実現する会
はるこい ホーム http://minnaissyoniharuyokoi.web.fc2.com/
はるこい広場 http://harukoihiroba.blog99.fc2.com/
******************************
埼玉から祝福のです
久野藍里さんの合格、ほんとうによかったですね。
2浪されてましたので、今年こそはと願っていました。
「合理的配慮」ということが活かされて、
高校でも一緒に学ぶことが、
もっともっと全国的に進んでいくようにと思います。
もうひとつ、朗報が届きました。
長姉のcocoちゃんの幼友達のワタシも大好きなmiーちゃんが、国立の医学部に合格しました。
mi-ちゃんは、メチャ優秀で、今までいっぱい大学も合格して、入学卒業もしていたけれど、病気になったりして大変だった。でも、やっと自分が進むべき道が分かり、ドクターになることとなりました。良かったラビ!mi-ちゃんは、やっぱりお医者さんだよね。おじちゃんのように、ワタシたち、障害のある子どもたちのためにも、ステキなお医者さんになってくださいね。まってるよhttp://koukousei.ashita-sanuki.jp/d2010-01.html
「どこかで春が」も弾きますよ
https://www.youtube.com/watch?v=AIxpEBHF1eo&index=1&list=RDAIxpEBHF1eo
愛知県の高校速報が届きました。
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おめでとうゴザイマスワタシも来週の試験がんばります
愛知で2浪して高校に挑んだ、久野藍里さんが
ずっと受験を続けてきた高校に、5回目の入試で合格しました。
肢体不自由の重度の障がいがある藍里さんは、代筆や時間延長などの配慮が認められていましたが、今回の受験でこれに加え、空間認知の障がいにより、数学の図形問題を計算問題に置き換えと、下計算のための方眼用紙の使用が追加で認められました。
また倍率は、前期26年度 1.7
前期27年度 1.81
前期28年度 1.36
今回の倍率が少しさがったこともラッキーでした。
2年間、あきらめず努力を続けてきたことが花開きました。
応援いただいた皆さま、ありがとうございました。
全国の受験中の皆さまの合格をお祈りいたします。
愛知「障害児・者」の高校進学を実現する会
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名古屋「障害児・者」生活と教育を考える会
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埼玉から祝福のです
久野藍里さんの合格、ほんとうによかったですね。
2浪されてましたので、今年こそはと願っていました。
「合理的配慮」ということが活かされて、
高校でも一緒に学ぶことが、
もっともっと全国的に進んでいくようにと思います。
もうひとつ、朗報が届きました。
長姉のcocoちゃんの幼友達のワタシも大好きなmiーちゃんが、国立の医学部に合格しました。
mi-ちゃんは、メチャ優秀で、今までいっぱい大学も合格して、入学卒業もしていたけれど、病気になったりして大変だった。でも、やっと自分が進むべき道が分かり、ドクターになることとなりました。良かったラビ!mi-ちゃんは、やっぱりお医者さんだよね。おじちゃんのように、ワタシたち、障害のある子どもたちのためにも、ステキなお医者さんになってくださいね。まってるよhttp://koukousei.ashita-sanuki.jp/d2010-01.html
Posted by ももこ at
18:38
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2016年03月18日
23回目の不合格
不合格でした。
もちろん、二次募集の定時制を受検します。がんばるラビ
今日の結果を心配して、たくさんのお友だちから問い合わせがありました。結果はつらかったけれど、幸せラビ
障害により不利益をこうむらないように、社会的障壁を取り除き、インクルーシブな後期中等教育をワタシにも、保障してほしいです。
平成27年2月24日に「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」の基本方針が閣議決定されました。この法律は平成28年度4月に施行されます。この基本方針は、障害を理由とする差別の解消に向けた、政府の施策の総合的かつ一体的な実施に関する基本的な考え方を示すものです。社会的障壁について、「障害がある者にとつて日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。」と定義されるとともに、基本原則として、同法第4条第1項に、「何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない」こと、また、同条第2項に、「社会的障壁の除去は、それを必要としている障害者が現に存し、かつ、その実施に伴う負担が過重でないときは、それを怠ることによつて前項の規定に違反することとならないよう、その実施について必要かつ合理的な配慮がされなければならない」ことが規定された。法は、障害者基本法の差別の禁止の基本原則を具体化するものであり、全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向け、障害者差別の解消を推進することを目的として、平成25年6月に制定された。我が国は、本法の制定を含めた一連の障害者施策に係る取組の成果を踏まえ、平成26年1月に権利条約を締結した。
Posted by ももこ at
00:00
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2016年03月16日
3月16日の記事
障害のある受検生”らび”を理解するための
合理的配慮としての資料
らびは、丸亀市立中央保育所、丸亀市立城西小学校、丸亀市立西中学校において、通常の学級で、障害のない子どもたちと共に育ち合い、*①インクルーシブ教育を受けてきました。高校におけるインクルーシブ教育を求めて、12年間続けての23回目の公立高校受検となりました。
中学卒業後の学びの場
< 16歳 >
平成17年度
・ USAにある高等学校の通信制に在籍してフリースクールに一年間通いました。(送迎や学費など父母の負担が多くやめる。)
・ 絵画「ドンタと共に さんぽパートⅠ」平成17年知的障害者の美術作品公募展「第10回てんか展」に入選。NHK高松放送局「ふれあいギャラリー」において移動展で展示され、テレビでも紹介されました。
*「SON香川“みんな一緒”日めくりカレンダー」の表紙絵
< 17歳 >
平成18年度
・ 香川県立三木高等学校社会人講座聴講生で「コンピュータ」を履修修了。
・ 絵画「春かな?!」が平成18年知的障害者の美術作品公募展「第1回しんか展」に入選。「サンポートギャラリー」において移動展で展示され、四国新聞でも紹介されました。
・ 絵画「ドンタと共に さんぽパートⅠ」がスペシャルオリンピックス日本 夏季ナショナルゲーム・熊本に初出場した香川選手団のユニフォームTシャツの前面のデザイン画に採用されました。
< 18歳 >
平成19年度 ・香川県立三木高等学校社会人講座聴講生で「日本史」を履修修了。
・絵画「混とん」が平成19年知的障害者の美術作品公募展「第2回しんか展」に入選。「サンポートギャラリー」において移動展で展示されました。
・スペシャルオリンピックス日本中四国ブロックボウリング大会(7月16日、岡山県)で銀メダル取得。
< 19歳 >
平成20年度 ・香川大学公開講座「ドイツの魅力」「犯罪被害者問題から現代社会を考える」、四国学院大学公開講座「中国史にみる異文化交流」「ソーシャルワーク実践から見える相互支援の価値」「憲法9条について考える」を受講。
・「e―とぴあ・かがわ」パソコン講座を受講。
・第1回スペシャルオリンピックス日本岡山地区大会公式プログラムボウリング競技会(香川県は招待参加)個人F3で金メダル、団体「香川ぶっかけチーム」で銀メダルを取得。
・「スペシャルオリンピックス日本 香川」のグッズ「“みんな一緒”日めくりカレンダー」製作(販売収益の一部がスペシャルオリンピックス香川に寄付されます。)に協力。
この販売収益により、現在合計390.700円が寄付されています。
*ブログあしたさぬき らび 2010年12月31日
2007年12月(18歳)に「 あしたさぬき らび」のブログを開設。
< 20歳~27歳 >
20歳~
・香川大学公開講座「自分史・地域史をつくろう」(6年間毎年)
「裁判員制度を考える」「モダンアート・現代美術の先駆け」を受講。
・「e―とぴあ・かがわ」パソコン講座を受講。(毎年)
・「NPO法人高次機能障害総合支援センターサンガリハビリプラザ」
(さぬき市・言語療法士のいる就労支援施設)に週1回通所。
「おからチップス」製造販売。うどんの包装袋組み立て等。
21歳
・第5回スペシャルオリンピックス日本夏季ナショナルゲーム大阪大会(11月5日~7日開催)バドミントン個人技能競技に香川県の代表で出場。 銅メダルを取得。
24歳~
・油絵を習い始める。
26歳~
・習字を習い始める.
美術鑑賞
・2009年(21歳)韓国旅行・台湾旅行(博物館・美術館・史跡めぐり)
・「2010年(21歳)2013年(24歳)瀬戸内国際芸術祭」鑑賞。
・2011年(22歳)イタリア(ローマ・フィレンツェ・ピサ)旅行
(美術館・史跡めぐり)
23歳~
・ヘルマンハープを習い始め、グループ「ぼこ・あ・ぽこ」を結成。
ミニコンサート、慰問などで演奏。
昨年は、サンポートホール高松で開催された、全国肢体不自由児者父母の会連合会全国大会のアトラクションで演奏。
今年の4月には、女性のへルマンハープのグループと老人ホームでの慰問を予定。
また、二年続けて、大島青松園にヘルマンハープ演奏で慰問に行き、今年も行く予定。
中学三年生の時から「500万人トーチラン」「スペシャルオリンピックス日本 香川設立準備委員会」の活動にアスリートとしてかかわってきました。平成20年に地区組織「スペシャルオリンピックス日本 香川」として本部から認証をうけるにあたり、多くのボランティア、ファミリー、アスリートと協力して頑張りました。また、絵画「ドンタと共に さんぽパートⅠ」がスペシャルオリンピックス香川のシンボルマークになり、ユニホームに使用されました。
21歳の時、夢だった「スペシャルオリンピックス日本 夏季ナショナルゲーム」に香川県のバドミントンの選手として出場でき、個人技能競技で銅メダルも取ることができました。開会式は大阪城ホールで開催され、ゲームは舞洲アリーナ・サブアリーナで2日間行なわれました。私にとって、中学校の修学旅行以来家族と離れての、コーチや選手たちとの2泊3日のアスリートとしての体験は、成長への大きな力になりました。これからも、スペシャルオリンピックスの精神、使命「知的発達障害のある人たちに年間を通じて、オリンピック競技種目に準じたさまざまなスポーツトレーニングと競技の場を提供し、参加したアスリートが健康を増進し、勇気をふるい、喜びをかんじ、家族や他のアスリートそして地域の人々と才能や技能そして友情を分かち合う機会を継続的に提供することである。」を大切にしてボウリング、バドミントン、水泳の練習取り組みながら、障害者の社会参加を、私なりに推し進めていきたいと思っています。
私はヘルマンハープを演奏したり、スポーツ大会等のボランティア活動にも参加して、ボランティアをする立場としても頑張ってきました。念願のヘルマンハープでのミニコンサート、アトラクションへの参加や福祉施設への慰問活動も行って私が奏でるヘルマンハープを楽しんでもらいました。
私は言語や文章で表現するのに障害があるためにうまくできませんが、ヘルマンハープでみんなが知っている曲を演奏する事はできます。私の奏でるハープの音色は優しくて、心に染み入ると褒めていただいています。昨年は、サンポートホール高松で全国肢体不自由児者父母の会連合会の全国大会が開催されました。そのアトラクションで、「金比羅船々(アンサンブル)」「ハナミズキ(独奏)」「威風堂々(アンサンブル)」を演奏しました。
また、中学一年生(平成14年)から、「サンサン祭り」に参加をして、*②ノーマライゼーションの推進活動や、ボランティア活動にも参加していました。平成18年からは、小豆島で開催される「タートルマラソン」での、ランナーに飲み物を渡すボランティア活動参加も9回になります。「サンポート高松トライアスロン」では、ゴールテープを持つお手伝いをしたり、ゴールでのお疲れ様コールやハイタッチなどのボランティアもしました。
昨年から2年続けて、大島清松園の慰問にも参加をして、ヘルマンハープの演奏をしました。障害のある私が、できるだけたくさんの人たちとふれあうことが、障害者への偏見を無くす事や障害者の社会参加へつながる小さな歩みになると信じています。
ライフワークにしたい絵画は、保育所のときから現在まで絵画教室に通い続けて、油絵も始めました。また、習字も一昨年から始め、先生には書がデザイン的で良いと褒められています。高校卒業後は、デザインをする仕事につなげていきたいと思っています。
中学校を卒業しても高校に合格する事のできない二十歳になった私は、丸亀市の成人式に出席してインクルーシブ教育を受けた小学校の同級生たちと記念写真を撮りました。懐かしい友達に会えて嬉しかったです。
障害のない人にとっては、晴れ着を着ての参加はそれほど大変なことではないと思われますが、私が成人式に晴れ着を着て参加をするにはいくつかの問題をクリアーしなければなりませんでした。まず、振袖を着て歩くには、私は右足の骨が曲がっているので、ぞうりを履いて歩くことができません。そこで、母は私に袴とブーツを用意してくれました。また、丸亀市民会館の会場では小学校区ごとに席が決まっていて途中から保護者と一緒に入ることができませんでした。成人なのだからいくら障害者とはいえ保護者同伴というわけにはいかないようです。私は、ヘルパーさん(当時、障害者自立支援法の制度)と一緒に席に行きました。
私には障害があるので、障害のない人たちと同じように社会参加する事が難しい場合もありますが、知恵や福祉用具、いろいろな支援サービス(フォーマルサービスやインフォーマルサービス)を使って、障害のない人もある人も共に一緒に生きることのできる社会をつくる一人になれることを目指しています。
2011年(平成24年)8月5日に「改正障害者基本法」が、公布・施行されました。第十六条の教育1は、「国及び地方公共団体は、障害者が、その年齢及び能力に応じ、かつ、その特性を踏まえた十分な教育が受けられるようにするため、可能な限り障害者である児童及び生徒が障害者でない児童及び生徒と共に教育を受けられるよう配慮しつつ、教育内容及び方法の改善及び充実を図る等の必要な施策を講じなければならない。」と改正され、障害のある子とない子が共に教育を受けられるようにすることを謳っています。
2013年(平成25年)6月には*③「障害者差別解消法」が、国会において全会一致で成立しました。「障害者差別解消法」には、学校では出来る限りの配慮をして障害者差別をおこさない義務が課せられております。また、2014年(平成26年)1月20日ニューヨークにおいて、我が国は、「障害者の権利に関する条約」の批准書を国際連合事務総長に寄託しました。これにより、本条約は、昨年2月19日に我が国について効力を生ずることとなりました。我が国は、障害のある人もない人も共に生きる社会の構築を目指しています。
私は「障害者の権利に関する条約」に謳われている、インクルーシブ教育を実践してきました、そして、私が高校で障害のない人たちと学ぶことにより、さらに障害のある人もない人も共に生きる社会を推し進めていきたいと考え受検しています。今回の受検で、12年間続けての23回目の公立高校へのチャレンジとなります。私は、自分の夢を実現するために、誰にも負けないの強い意思を持ち続けています。なぜそれができるかと言うと、私を応援してくれている人たちがいるからです。私の夢は、みんなの夢でもあるのです。
私は普通の赤ちゃんの半分ほどの体重、1528gの超未熟児で生まれ、その後、様々な病気や生まれつきの足の骨の異常で二回の手術をして、知的障害や言語の障害、軽度の足の障害などをもち苦労しながら今まで生きてきました。しかし、私が誇れることはそんな障害があるにも関わらず、障害のない子どもたちと共に学び育ってきたインクルーシブ教育実践者であるということです。私は自分の経験を通して世の中には、障害者に対する差別があることを知りました。しかし、障害者が社会参加していくことにより多くの偏見や差別をなくしていくきっかけが出来てくるということも学びました。
地域の学校で教育を受け育った私は、学校時代の友だちに最近よく街で会います。保育所からの幼馴染は市役所の職員になって、今ではお母さんです。また、女性警察官や会社員になった友だちと、買い物に行ったスーパーマーケットや駅でひさしぶりに会ったりしてお互いに懐かしく再 会を喜び合っています。
共に育った友だち(同級生だけでなく、先輩や後輩にも)は電車に乗っている時、駅や高速バス乗り場など,私と出会ったら私が忘れていても、「らびちゃん!」と言って声をかけてくれます。そして、友だちのお母さんやお世話になった先生たちも声をかけてくれます。このことは、私を幸せにしてくれます。そして、声をかけてくれた人たちも幸せそうな顔をしてくれます。うまくは説明ができませんが、私のような人間でも世の中は必要としてくれているのだと実感します。私は、クラスメイトのようにもっと勉強したいです。高校の勉強をさせてください。他県では、私よりもっと重度の障害のある人も高校生になれて、卒業しています。
私には、今高校生の友だちはいませんが、昨年新しい友達ができました。昨年の春から運動不足を解消する為に、スポーツジムに父母と通っています。私は泳げるように、ほとんど毎日プールで泳いでいます。まだ、ビート板を使っての泳ぎですが、息継ぎも以前よりうまくできるようになりました。いつか、クロールが泳げるようになるように頑張っています。プールに行くと、いろいろな年代の人々が、泳いだり水中歩行をしたりしています。心臓の悪い人、足が悪い人、ものすごく太っている人、ものすごくやせている人、若い人、お年寄りの人、本当に様々な人々がプールで自分のペースで泳いだり、歩いたり、休んだりしています。私にもプール仲間ができました。挨拶をします。私が挨拶をすると、喜んでくれます。私は、とても嬉しいです。
もっと、嬉しい事がありました。中学校の時の先生が退職後、足の手術をされてリハビリにプール来られていました。卒業して以来の再会でしたが、先生も私のことを覚えていてくれて、お互いに再会を喜びあいました。クロールの練習をしている事を知って、励ましてくれています。
人との出会いが、私を成長させてくれています。高校に入ってたくさんの先生や友達と学びあってもっと人間的に成長したいと思っています。
私は障害のために、普通の人々のような活動は難しい部分もありますが、障害のある人もない人も共に生きることのできる*④ソーシャルインクルージョンの社会を実現するために、これからもいろいろ勉強して社会の一員として、社会貢献をしていきたいと思っています。
用語説明
*①インクルーシブ教育
障害者の権利に関する条約第24条によれば、「インクルーシブ教育システム」(inclusive education system、署名時仮訳:包容する教育制度)とは、人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みであり、障害のある者が「general education system」(署名時仮訳:教育制度一般)から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な「合理的配慮」が提供される等が必要とされている。
*②ノーマライゼーション
障害のある人たちを一人の市民として地域で普通に生活できるように社会の仕組みを変えていくこと。知的障害児の入所施設をめぐる状況への対応理念として、デンマークで初めて提唱された。
*③障害者差別解消法(「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」)
平成27年2月24日に「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」の基本方針が閣議決定されました。この法律は平成28年度4月に施行されます。この基本方針は、障害を理由とする差別の解消に向けた、政府の施策の総合的かつ一体的な実施に関する基本的な考え方を示すものです。以下は「障害者差別解消法」の基本方針の一部です。
1 法制定の背景
近年、障害者の権利擁護に向けた取組が国際的に進展し、平成18年に国連において、障害者の人権及び基本的自由の享有を確保すること並びに障害者の固有の尊厳の尊重を促進するための包括的かつ総合的な国際条約である障害者の権利に関する条約(以下「権利条約」という。)が採択された。我が国は、平成19年に権利条約に署名し、以来、国内法の整備を始めとする取組を進めてきた。
権利条約は第2条において、「「障害に基づく差別」とは、障害に基づくあらゆる区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のあらゆる分野において、他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を認識し、享有し、又は行使することを害し、又は妨げる目的又は効果を有するものをいう。障害に基づく差別には、あらゆる形態の差別(合理的配慮の否定を含む。)を含む。」と定義し、その禁止について、締約国に全ての適当な措置を求めている。我が国においては、平成16年の障害者基本法(昭和45年法律第84号)の改正において、障害者に対する差別の禁止が基本的理念として明示され、さらに、平成23年の同法改正の際には、権利条約の趣旨を踏まえ、同法第2条第2号において、社会的障壁について、「障害がある者にとつて日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。」と定義されるとともに、基本原則として、同法第4条第1項に、「何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない」こと、また、同条第2項に、「社会的障壁の除去は、それを必要としている障害者が現に存し、かつ、その実施に伴う負担が過重でないときは、それを怠ることによつて前項の規定に違反することとならないよう、その実施について必要かつ合理的な配慮がされなければならない」ことが規定された。法は、障害者基本法の差別の禁止の基本原則を具体化するものであり、全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向け、障害者差別の解消を推進することを目的として、平成25年6月に制定された。我が国は、本法の制定を含めた一連の障害者施策に係る取組の成果を踏まえ、平成26年1月に権利条約を締結した。
2 基本的な考え方
(1)法の考え方
全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現するためには、日常生活や社会生活における障害者の活動を制限し、社会への参加を制約している社会的障壁を取り除くことが重要である。このため、法は、後述する、障害者に対する不当な差別的取扱い及び合理的配慮の不提供を差別と規定し、行政機関等及び事業者に対し、差別の解消に向けた具体的取組を求めるとともに、普及啓発活動等を通じて、障害者も含めた国民一人ひとりが、それぞれの立場において自発的に取り組むことを促している。特に、法に規定された合理的配慮の提供に当たる行為は、既に社会の様々な場面において日常的に実践されているものもあり、こうした取組を広く社会に示すことにより、国民一人ひとりの、障害に関する正しい知識の取得や理解が深まり、障害者との建設的対話による相互理解が促進され、取組の裾野が一層広がることを期待するものである。
*④ソーシャルインクルージョン
障害者だけではなく、すべての人々を社会的孤立や排除などから援護し、社会の構成員として包み込まれて生きる地域のあり方。
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12:50
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2016年03月15日
「10浪の伝説の人」を超えた「12浪のらび」です。
みなさま、お久しぶりですしばらく、ブログをお休みしていましたが、毎年、ワタクシ、コツコツとまじめに一般入試でデザイン科、2次募集で定時制と受検をしております。その結果、ついに高校浪人12浪となってしまい、香川県の伝説の人の10浪の記録を抜いてしました。
今年も、23回目の高校お受験をいたしました。このブログを休んでいた間、法律が大きく変わっていっています。障害者権利条約は批准されました。そして、4月からは障害者差別解消法が施行されます。
ラビは、今年の2月25日の朝、mamaが起きてくるのを待っていたように抱っこされてみんなに挨拶をした後、まだまだ生きるんだと、papaから大好きな小松菜を食べさせてもらおうと、大きく口を開けて、息絶えました。ラビは2週間ほど前から、食べても食べてもガリガリとやせていって人間にしたら100歳の域でした。秋に体調が悪くなった時に、主治医のドクターに看てもらったときに、「ウサギの平均寿命は7,8年なので、人間にしたら100歳ぐらいだから、いつどうなってもおかしくないですよ。」と言われていました。でも、その後、回復して元気に食べていましたが、さすがに動きは段々とお年寄りになってきていました。
ラビの足がたたなくなったのは、亡くなる3日前の午後でした。その日にnanaちゃんに連絡したら、たまたま仕事がお休みだったので、夜、会いに来てくれました。義兄のyu君も、仕事が終わって来てくれました。nanaちゃんにも抱っこされました。
ラビの亡くなった日は、mamaは一日高松で仕事だったので、お葬式は翌日にする事にしました。その日は、papa(定年退職して年金生活に突入中)とワタシでラビをみました。カオリンがヘルパーできてくれる日だったので、カオリンともラビはお別れできました。
その日は、不思議な日でした。mamaが仕事が終わって携帯を見ると、ワタシの受験校からの電話記録がありました。mamaは早速電話をしました。そうしたら、今年の特別措置が決定したと言うことでした。今までと違っているので、明日にでも特別措置願いの返事を受け取りに来てくださいと言う事でした。今回12年目にして、やっと代読、面接時の慣れた介助者(障害者総合支援法でのヘルパー介助)が認められることとなったのです。mamaに、悲しい事と嬉しい事がその日に訪れました。不思議な2016年2月25日でした。
Posted by ももこ at
05:33
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2016年03月14日
2013年05月26日
ひろしま菓子博差別事件
ひろしま菓子博差別事件について学びました。
最初のころは、電動車いすを使用している人は入場できませんでした。
5月9日のメールです。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワークML
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
◆中国新聞朝刊 2013年5月9日(木)
【ひろしま菓子博】
問われる利用者目線―電動車いすめぐる議論平行線
―ベビーカー利用制限にも苦情
全国菓子大博覧会(ひろしま菓子博)のパビリオン内で、ベビーカーが原則利用できないことについて、家族連れから疑問や不満の声が上がっている。会場では電動車いすの利用制限についてもいまだに論議が続いている。今後、広島で開かれるイベントに向け、利用者に優しい運営の在り方が問われている。(有岡英俊)
◇「優しい運営」求める声
パビリオン入り口にベビーカーが並ぶ。実行委員会は混雑や接触事故の防止などを理由に、パビリオン全8館で原則、利用を断っている。おむつなどを入れた大きなバッグと子どもを抱えて、混み合う会場を縫う保護者の姿も目立つ。
「赤ん坊を抱いたまま回るのはしんどい。会場を広くするなどしたり、誘導スタッフを増やすなど工夫の余地があるのでは」。2歳と生後6カ月の子どもを連れた会社員赤川慎治さん(31)=海田町=は、そう問い掛ける。実行委にはこれまで、電話で5件の苦情があり、ベビーカー置き場でも係員が抗議を受ける場面もある。
電動車いすの利用者については、障害者団体の苦情で全面乗り入れ禁止から、スタッフの付き添いで乗り入れを受け入れる方針に見直された。混み合ったゴールデンウイーク期間中の1日に訪れた廿日市市の男性(54)は、スタッフ3人の付き添いで、電動車いすに乗ったまま巡った。
男性は「丁寧に案内してもらった。ただ一人で自由に巡りたい人もいる。利用者側が付き添いを断る選択肢があってもいい」と打ち明けた。
県内外の11の障害者団体は、乗り入れを禁止することを決めた実行委の当初の姿勢を「差別的」と問題視。議論は、県社会福祉士会が会長名の抗議声明文で、当初のルール決定の経緯について検証するよう求める事態にまで発展した。
障害者団体は付き添いをつける新たなルールも撤廃を要求。菓子博が残り4日間になったいまも、両者の主張は平行線をたどる。
広島修道大の三浦浩之教授(環境デザイン)は「安全でうまく運営することを優先しすぎて、子どもや障害者たちへの配慮に欠けているのではないか」と指摘する。
県内では来年、瀬戸内の島々を舞台にした博覧会「瀬戸内しまのわ」も控える。三浦教授は「来場者の側に立った事前調査や対話が必要だった。教訓を今後のイベント運営に生かしてほしい」と求めている。
【写真】キャプション=パビリオン「全国お菓子めぐり館」脇にベビーカーを置く親子連れ
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◎分けない社会は、分けない教育から!!◎
5月22日のメールです。
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みなさま。
障害者生活支援センター・てごーすの松尾です。
今日5月22日付の中国新聞のオピニオン面に掲載された記事です。
ひろしま菓子博での電動車いす使用者への「見守り」について、「障害者を庇護すべき対象とみなす偏見」と、ズ
バリ!
【中国新聞 2013年5月22日】
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
障害者の望み特別でない
大阪市立大ドクター研究員 秋風千恵さん
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●いまだ配慮されない人びと
「私たち抜きに私たちのことを決めないで」。障害者の間に根付く国際的な標語だ。日本では民主党政権下で当事
者が障害者基本法改正などの議論に参加したものの、いまだに変わらない「障壁」もそびえる。松江市の肢体不自由
障害者、秋風千恵さん(59 )=大阪市立大ドクター研究員=は「健常者の側の意識の転換こそ」と提案する。
(聞き手は論説副主幹。佐田尾信作、写真・増田智彦)
―障害者の個人史を聞き取りしている。自身もそうですね。
手帳は1種1級です。「先天性四肢奇形」ですが、日常の介助は不要で、普通校を経て大学に進みました。社会で
仕事もしましたが、40代のころ、ある会社で男性上司に執拗ないじめを受けたことがあります。
―障害が理由でしたか。
そう明言されたことはありません。でも速足では歩けない私より必ず数研先を歩くとか。滑稽で今なら笑えます
が、当時は自分の何が問題か、内に「非」を探し続けるしかなかった。
―自分が頑張るしかないと。
そうです。逆に重度障害者の運動の中で疎外されたこともあります。私はパソコンや運転ができるので貢献してき
たつもりが、論議の場で「果たして秋風さんが障害者か」と。健常者の発言でしたが、いじめよりつらかった思い出
があります。
‐50代に近づいて「障害学」との出合いがあるのですね。
まず電子メールでつながる軽度障害の自助グループを知ります。障害の重い軽いに関係なく何でも言える空気。そ
こで「障害学への招待」(石川准。長瀬修編、19 9 9年) という本の関係者と知り合うのです。大学院進学も薦
められました。
―障害学は福祉や医療とはアプローチが異なる試みですか。
90年代に英米から紹介されました。「障害学への招待」の冒頭には「障害者すなわち障害者福祉の対象」という
枠組みからの脱却を、とあります。
―治療・リハビリだけでなく眼前の壁を打破しようと。
同じ身体の条件でも社会の障壁を下げれば、障害は軽度になると考えます。実際、駅のエレベーター設置は随分進
み、物理的な障壁は下がりました。情報。文化の障壁も近年そうです。
― 「情報。文化の障壁」が下がっている、と言いますと。
デジタル端末の普及ですね。電子書籍は無償の「青空文庫」を含めて日々増え、読み上げソフトと合わせて視覚障
害者には福音です。不随意運動で顔を本にちゃんと向けられない脳性まひの人にとっても便利です。
―ですが、いまだに打破できない障壁もあるはずです。
聞き取りした中途失明の会社員は100キロマラソンに挑戦するような前向きな人ですが、昇進試験のパソコン受
験を希望しても認めてもらえない。たとえばこれが制度の障壁です。法律。政令には今なお膨大な「障害者欠格条
項」があるし、特別支援学校からの大学進学も難しい。
―制度が時代に追いついていないのですね。
さらに変わらないのは意識の障壁。ひろしま菓子博の電動車いすの問題なら、入場に見守りスタッフを付き添わせ
たことです。乗る人は電動車いすを日々使いこなしているのに「見符る」だなんて、障害者を庇護すべき対象とみな
す偏見です。
― 「今の時代、大変なのは健常者も同じ」という言い回しも俗耳に入りやすいですね。
障害者は若いころから物理的に、制度的に排除されてきたのです。「あなた方の気持ちが今は分かるよ」という善
意の人にあまり強くは言えませんが、高齢になって身体が不自由になるのとは問題の本質が違います。
実際、2 0 0 6年の調査では障害男性の就労率は健常男性の64 ・9% にすぎず、女性はさらに低い。生活保
護ではなく、最低所得を保障する「ベーシックインカム」という新しい考え方が必要だと思っています。
―逆に障害者の要望に「何をどうしてほしいのか」と、構えてしまうこともあります。
障害学を提唱する社会学者石川准さんは、障害者を「いまだ配慮されていない人びと」と定義します。健常者も自
宅2階に上がるのに「階段」という配慮を受けている。「スロープ」という配慮を受けたい障害者の希望を当たり前
に考えてほしい。
使命感や義務感ではなく、どうしたら同じ配慮になるかという発想に転換してほしいのです。
あきかぜ。ちえ 雲南市木次町生まれ。中央大法学部卒業。社会人を経て09年大阪市立大大学院後期博士課程修
了。博士(文学) 。専攻は社会学。現在は同大都市文化研究センター
ドクター研究員。社会福祉士。著書に「軽度障害の社会学」。
5月23日のメールです。
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みなさま。
障害者生活支援センター・てごーす事務局の松尾です。
本日(5月23日)付中国新聞の記事をご紹介します。
●車いす問題で広島市が陳謝
菓子博
広島市中区で12日まで開かれた全国菓子大博覧会(ひろしま菓子博)で開幕当初、電動車いすの会場乗り入れが
禁止された問題で、実行委員会に加わる市は21日の市議会経済観光環境委員会で「利用者に不快な思いをさせた」
と陳謝した。
実行委事務局長を務めた市の荒川宣昭菓子博覧会支援担当部長が4月19日の開幕後、利用者から抗議を受けて
22日から乗り入れを可能にした経緯を説明。「電動車いすの実態を深く知らず、非常に迷惑を掛けた」と述べた。
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03:23
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2013年05月22日
香川県の伝説の人「高校を10浪した洋介クン」
安田さんお元気ですか?
洋介兄ちゃんは、今もがんばっています。洋介兄ちゃんの裁判が放映されることになりました。多くの方にお伝え下さい。
5月21日(火)18:30ごろ
5月25日(土)13:00~13:55 1時間の特番再放送 5月27日(月)25:30~26:25以上は香川・岡山エリアでOHKです。
そして、ただ今、らび(9浪)とあーちゃん(1浪)は、高校めざして現在奮闘中です。
懐かしい安田さんからの応援メッセージ転載させていただきました。
パーソナルサポート通信 06年11月号
安田 雄太郎(やすだゆうたろう)
共に生きる<形>をつくるのは、分けない教育
四国の香川県で活動している団体、「福祉オンブズ香川」の総会で、講演をさせていただく機会があった。演題は「自分らしく生きるには?」。「障害者自立支援法」が施行される厳しい情勢のなかで、これからどのような展望をもっていけばいいかというテーマだった。拙い講演になってしまったと思いつつ、香川まで呼んでいただいてありがたく思っている。実家が徳島なので同じ「四国」というだけでなく、実は香川には特別な縁がある。というのも、香川在住の知的障害者・多田羅洋介(たたらようすけ)さんの普通高校への就学運動に、大学生の時に微力ながら協力させてもらったからだ。
多田羅さんは、今年の7月で26歳、重度の知的障害をもっている。今は、ヘルパー制度も利用しながら両親と暮らしており、施設ではなく地域での生活にこだわり生きている。小学校と中学校は普通学校に通った。高校も普通学校で学びたかったが、高校側や教育委員会は、高校に行きたければ養護学校に行けばいいという姿勢で、彼を不合格にした。それでもあきらめずに挑戦したが、定時制で定員に達していないにもかかわらず、不合格が毎年続いた。中学校時代の同級生の友達もだんだん疎遠になっていき、彼は孤立していった。私も、何度か教育委員会との交渉や多田羅さん親子の支援のための集会に行った。しかし、多田羅さん親子はつらい春を迎え続け、10年の歳月が流れた。「今年で受験は最後にした」という知らせを聞いて、残念な悔しい思いになった。
僕自身は、養護学校から地域の普通高校に進学し、同世代の健常者たちと高校生活を過ごした。なぜ普通高校で学びたかったのかと言えば、一つは大学に行くための学力をつけたかったからだが、それだけではなかった。同世代の健常者と同じ学校で学ぶことに、不安もあったが興味もあった。それらの根底には、親が介護できなくなった時に施設に行かざるをえないという不安や、養護学校を卒業した後に「健常者中心の社会」に出たときの不安があった。今、親元から離れて生活しているが、これも高校で培った、学力以外の人間関係やそのつくり方の経験によるところが大きい。
このように、自分は普通高校に行きたかったし、貴重な経験を得たにも関わらず、多田羅さん親子に関わったはじめのころは、正直、なぜ重度の知的障害をもっている人が普通高校に行きたいのか、わからなかった。大学に入学したばかりで、大学に行くための学力をつけたいという目的だけが普通高校を希望した理由だと、自分のなかで一つの側面しか捉えられなかったからだ。でも、彼らと関わっていくうちに、自分の偏った見方は変わっていった。
多田羅さん親子は、普通高校への就学運動と同時に、地域でアパートを借りての自立生活にむけた運動を開始した。当時は今以上に、多田羅さんの利用できる在宅での介護サービスはほんの一部で、介護者を自力で募集する必要があった。私も、アパートの近くの大学に行って介護者募集のビラまきなどをいっしょにやった。そこで見つけた介護者とともに、私もいっしょにアパートに泊まることもあったが、まったく多田羅さんを知らない人に介護に入ってもらうのは難しく、また、継続してもらうのはさらに難しく、相当な労力が必要だった。介護者が少なければ、どうしても一人にかかる負担が多くなる。多田羅さんが親元から離れて地域で生きていくためには、多くの支援者が必要だということを、つくづく実感した。そう感じたとき、多田羅さんが普通高校で生活し、卒業後の自立生活を見据えて人間関係を構築していれば、もっと彼の介護を担い、生活に協力してくれる人がいたかもしれないと思った。
多田羅さんのお父さんも「地元で生活するためにも、中学校までに培った同世代の子供たちとの関係をもっと強く、確かなものにしたい…(父・多田羅正)」(1996年10月29日・朝日新聞香川版「多田羅くん16歳」)と述べているように、多田羅さんに必要だったのは、養護学校での特殊な教育ではなかった。彼と関わるなかで実感したのは、自分で服を着替えたり、洗濯をしたり、トイレに行ったりという行為は、教育や訓練で何とかできるものではなく、彼にとっては無理難題を強制されるに等しく、できないことが彼の「障害」であり、「個性」なのだ。必要なのは、関わり、生活を共有してくれる「人」であり、その人たちと地域で生きていくことなのだ。
彼が普通高校を望んだのは、地域で生きていきたいからなのだ。地域で生きていくための人間関係づくりは、養護学校より普通学校のほうが彼にとって有効なのだ。多田羅さんのお母さんが、「〈障害〉がある子供たちは〈障害〉を克服したり、軽減したりするために訓練施設や病院通いに追われ、近所であまり遊べないまま学童期を迎え、〈そんな子〉の学校の小・中・高等部を卒業します。一方〈障害〉がない大多数の子供たちは〈障害〉ゆえにクラスメートになれなかった子供たちの存在を知らないまま大人になります。この両者が協力しあって地域社会をつくっていくのは、とても難しいことです(母・練尾登志子)」(1996年11月9日・朝日新聞香川版「多田羅くん16歳」)と述べているように、介護者募集をしてつくづく思ったのは、子どもの頃から障害児と健常児が分けられ、交流する機会もほとんどないという状況が、双方の関係を疎遠にし、差別的なものにしているということだ。もっとあたりまえに生活空間を共有し、交流することで、ずいぶん変わると思った。
多田羅さんが、施設という特別な環境で生きていくことを選択したのなら、養護学校という選択肢もあったと思う。特殊な教育、特別な支援…。でも、考えてみてほしい。障害者だけが集まる教育現場、障害者だけが集団で生活する環境を。「高校が同世代の社会そのものであるのなら、その構成員の一人として、知的障害の若者がいても当たり前だし、○○できる人、××できない人、いろいろな若者がいてこそ健全な社会です(父・多田羅正)」(1996年10月29日 朝日新聞香川版「多田羅くん16歳」)という言葉は、これらの特殊な教育や生活空間をつくり、障害者と健常者を分けてしまう社会の「異常さ」を思わせる。「できる人、できない人」と人間を振り分け、生活環境や所得格差など、生きるための条件までも振り分けていく「格差社会」とその拡大は、障害者が健常者と共に生きていけない社会をつくってきたことと無関係ではない。
養護学校や施設のほうが安心だから、それを否定するのはおかしいという人がいる。でも、なぜそういう環境でなければ安心できないのか。それは、障害者が普通学校で学び、地域で生きていくことを困難にする差別意識やシステムが根強いからではないだろうか。今、枚方市の「枚方西高校跡地」に養護学校を建設しようという運動がある。枚方在住の障害者で養護学校に行きたい人は、他市の府立寝屋川養護学校(知的障害校)や府立交野養護学校(肢体障害校)に通わざるを得ず、両校は大阪府の示す適正規模(150人~200人)をはるかに超える養護学校になっているという。「通学に往復3時間もかかる児童・生徒もおり、教室も不足している。人権侵害に匹敵する実態だ」、「選択肢の一つとして養護学校は必要だ」、と養護学校の必要性を訴えている。障害をもった子どもが普通学校に通うことがどれだけ大変かは、これらの運動を担い、共感する親子の切実な訴えからも明らかだ。でも、なぜ枚方には養護学校がないのかをもっと考えてみる必要がある。それは、枚方在住の障害児や親、支援者が、苦労し、紆余曲折を経ながらも普通学校で学び、地域で生きていけるための環境づくりに励んできた結果ではないだろうか。私は枚方にまだ3年弱しか住んでいないが、枚方在住の障害者が、困難を承知で養護学校ではなく普通学校で学ぶことを選択し、当事者、学校側、教育委員会のぶつかり合いや議論を経ながらも普通学校で学んできたという事例を聞いたことがある。そういった、枚方の先輩達の葛藤や苦労が、「40万都市に養護学校がないのは枚方市だけ」という状況を、ある意味成果としてつくってきたのではないか? 今も普通学校で学ぶことにこだわり、運動している障害者や親、支援者はいるのだ。「養護学校を選ばざるを得ない子ども」と言ってしまえば、多田羅さんもそれに当てはまるのかもしれない。しかし、彼は何年かかっても高校生になれず、両親の仕事を圧迫されながらも、地域で共に学び、生きることにこだわってきた。「生徒一・六人につき先生一人、生徒一人に年間約930万円費やす養護学校」「生徒十六人につき先生一人、生徒一人に年間約90万円費やす普通校」というデータがある。必要なのは、高いお金をかけて養護学校をつくることではなく、現在ある普通高校に予算をかけ、障害者や親が安心して学べる環境をつくることではないだろうか。枚方に養護学校をつくれば、ますます枚方の普通学校は障害者が学びにくい環境になっていくことが危惧される。共に学ぶ教育をめざしてきた先輩達の地平を崩してほしくない。
多田羅さん親子の地域で生きるための闘いには、多くを学ばされた。普通高校への入学を実現させることはできなかったが、彼らの10年間の闘いの成果は、次の世代の知的障害をもった中学生の高校進学へと繋がっている。多田羅さん親子が頑張ってきたのは、次の世代のためでもあるのだ。今、離れた大阪の地で何ができるでもないが、彼らの人生をかけた闘いを無駄にしないためにも、障害者と健常者が地域で共に学び、生きていける環境づくりに励みたい。
洋介兄ちゃんは、今もがんばっています。洋介兄ちゃんの裁判が放映されることになりました。多くの方にお伝え下さい。
5月21日(火)18:30ごろ
5月25日(土)13:00~13:55 1時間の特番再放送 5月27日(月)25:30~26:25以上は香川・岡山エリアでOHKです。
そして、ただ今、らび(9浪)とあーちゃん(1浪)は、高校めざして現在奮闘中です。
懐かしい安田さんからの応援メッセージ転載させていただきました。
パーソナルサポート通信 06年11月号
安田 雄太郎(やすだゆうたろう)
共に生きる<形>をつくるのは、分けない教育
四国の香川県で活動している団体、「福祉オンブズ香川」の総会で、講演をさせていただく機会があった。演題は「自分らしく生きるには?」。「障害者自立支援法」が施行される厳しい情勢のなかで、これからどのような展望をもっていけばいいかというテーマだった。拙い講演になってしまったと思いつつ、香川まで呼んでいただいてありがたく思っている。実家が徳島なので同じ「四国」というだけでなく、実は香川には特別な縁がある。というのも、香川在住の知的障害者・多田羅洋介(たたらようすけ)さんの普通高校への就学運動に、大学生の時に微力ながら協力させてもらったからだ。
多田羅さんは、今年の7月で26歳、重度の知的障害をもっている。今は、ヘルパー制度も利用しながら両親と暮らしており、施設ではなく地域での生活にこだわり生きている。小学校と中学校は普通学校に通った。高校も普通学校で学びたかったが、高校側や教育委員会は、高校に行きたければ養護学校に行けばいいという姿勢で、彼を不合格にした。それでもあきらめずに挑戦したが、定時制で定員に達していないにもかかわらず、不合格が毎年続いた。中学校時代の同級生の友達もだんだん疎遠になっていき、彼は孤立していった。私も、何度か教育委員会との交渉や多田羅さん親子の支援のための集会に行った。しかし、多田羅さん親子はつらい春を迎え続け、10年の歳月が流れた。「今年で受験は最後にした」という知らせを聞いて、残念な悔しい思いになった。
僕自身は、養護学校から地域の普通高校に進学し、同世代の健常者たちと高校生活を過ごした。なぜ普通高校で学びたかったのかと言えば、一つは大学に行くための学力をつけたかったからだが、それだけではなかった。同世代の健常者と同じ学校で学ぶことに、不安もあったが興味もあった。それらの根底には、親が介護できなくなった時に施設に行かざるをえないという不安や、養護学校を卒業した後に「健常者中心の社会」に出たときの不安があった。今、親元から離れて生活しているが、これも高校で培った、学力以外の人間関係やそのつくり方の経験によるところが大きい。
このように、自分は普通高校に行きたかったし、貴重な経験を得たにも関わらず、多田羅さん親子に関わったはじめのころは、正直、なぜ重度の知的障害をもっている人が普通高校に行きたいのか、わからなかった。大学に入学したばかりで、大学に行くための学力をつけたいという目的だけが普通高校を希望した理由だと、自分のなかで一つの側面しか捉えられなかったからだ。でも、彼らと関わっていくうちに、自分の偏った見方は変わっていった。
多田羅さん親子は、普通高校への就学運動と同時に、地域でアパートを借りての自立生活にむけた運動を開始した。当時は今以上に、多田羅さんの利用できる在宅での介護サービスはほんの一部で、介護者を自力で募集する必要があった。私も、アパートの近くの大学に行って介護者募集のビラまきなどをいっしょにやった。そこで見つけた介護者とともに、私もいっしょにアパートに泊まることもあったが、まったく多田羅さんを知らない人に介護に入ってもらうのは難しく、また、継続してもらうのはさらに難しく、相当な労力が必要だった。介護者が少なければ、どうしても一人にかかる負担が多くなる。多田羅さんが親元から離れて地域で生きていくためには、多くの支援者が必要だということを、つくづく実感した。そう感じたとき、多田羅さんが普通高校で生活し、卒業後の自立生活を見据えて人間関係を構築していれば、もっと彼の介護を担い、生活に協力してくれる人がいたかもしれないと思った。
多田羅さんのお父さんも「地元で生活するためにも、中学校までに培った同世代の子供たちとの関係をもっと強く、確かなものにしたい…(父・多田羅正)」(1996年10月29日・朝日新聞香川版「多田羅くん16歳」)と述べているように、多田羅さんに必要だったのは、養護学校での特殊な教育ではなかった。彼と関わるなかで実感したのは、自分で服を着替えたり、洗濯をしたり、トイレに行ったりという行為は、教育や訓練で何とかできるものではなく、彼にとっては無理難題を強制されるに等しく、できないことが彼の「障害」であり、「個性」なのだ。必要なのは、関わり、生活を共有してくれる「人」であり、その人たちと地域で生きていくことなのだ。
彼が普通高校を望んだのは、地域で生きていきたいからなのだ。地域で生きていくための人間関係づくりは、養護学校より普通学校のほうが彼にとって有効なのだ。多田羅さんのお母さんが、「〈障害〉がある子供たちは〈障害〉を克服したり、軽減したりするために訓練施設や病院通いに追われ、近所であまり遊べないまま学童期を迎え、〈そんな子〉の学校の小・中・高等部を卒業します。一方〈障害〉がない大多数の子供たちは〈障害〉ゆえにクラスメートになれなかった子供たちの存在を知らないまま大人になります。この両者が協力しあって地域社会をつくっていくのは、とても難しいことです(母・練尾登志子)」(1996年11月9日・朝日新聞香川版「多田羅くん16歳」)と述べているように、介護者募集をしてつくづく思ったのは、子どもの頃から障害児と健常児が分けられ、交流する機会もほとんどないという状況が、双方の関係を疎遠にし、差別的なものにしているということだ。もっとあたりまえに生活空間を共有し、交流することで、ずいぶん変わると思った。
多田羅さんが、施設という特別な環境で生きていくことを選択したのなら、養護学校という選択肢もあったと思う。特殊な教育、特別な支援…。でも、考えてみてほしい。障害者だけが集まる教育現場、障害者だけが集団で生活する環境を。「高校が同世代の社会そのものであるのなら、その構成員の一人として、知的障害の若者がいても当たり前だし、○○できる人、××できない人、いろいろな若者がいてこそ健全な社会です(父・多田羅正)」(1996年10月29日 朝日新聞香川版「多田羅くん16歳」)という言葉は、これらの特殊な教育や生活空間をつくり、障害者と健常者を分けてしまう社会の「異常さ」を思わせる。「できる人、できない人」と人間を振り分け、生活環境や所得格差など、生きるための条件までも振り分けていく「格差社会」とその拡大は、障害者が健常者と共に生きていけない社会をつくってきたことと無関係ではない。
養護学校や施設のほうが安心だから、それを否定するのはおかしいという人がいる。でも、なぜそういう環境でなければ安心できないのか。それは、障害者が普通学校で学び、地域で生きていくことを困難にする差別意識やシステムが根強いからではないだろうか。今、枚方市の「枚方西高校跡地」に養護学校を建設しようという運動がある。枚方在住の障害者で養護学校に行きたい人は、他市の府立寝屋川養護学校(知的障害校)や府立交野養護学校(肢体障害校)に通わざるを得ず、両校は大阪府の示す適正規模(150人~200人)をはるかに超える養護学校になっているという。「通学に往復3時間もかかる児童・生徒もおり、教室も不足している。人権侵害に匹敵する実態だ」、「選択肢の一つとして養護学校は必要だ」、と養護学校の必要性を訴えている。障害をもった子どもが普通学校に通うことがどれだけ大変かは、これらの運動を担い、共感する親子の切実な訴えからも明らかだ。でも、なぜ枚方には養護学校がないのかをもっと考えてみる必要がある。それは、枚方在住の障害児や親、支援者が、苦労し、紆余曲折を経ながらも普通学校で学び、地域で生きていけるための環境づくりに励んできた結果ではないだろうか。私は枚方にまだ3年弱しか住んでいないが、枚方在住の障害者が、困難を承知で養護学校ではなく普通学校で学ぶことを選択し、当事者、学校側、教育委員会のぶつかり合いや議論を経ながらも普通学校で学んできたという事例を聞いたことがある。そういった、枚方の先輩達の葛藤や苦労が、「40万都市に養護学校がないのは枚方市だけ」という状況を、ある意味成果としてつくってきたのではないか? 今も普通学校で学ぶことにこだわり、運動している障害者や親、支援者はいるのだ。「養護学校を選ばざるを得ない子ども」と言ってしまえば、多田羅さんもそれに当てはまるのかもしれない。しかし、彼は何年かかっても高校生になれず、両親の仕事を圧迫されながらも、地域で共に学び、生きることにこだわってきた。「生徒一・六人につき先生一人、生徒一人に年間約930万円費やす養護学校」「生徒十六人につき先生一人、生徒一人に年間約90万円費やす普通校」というデータがある。必要なのは、高いお金をかけて養護学校をつくることではなく、現在ある普通高校に予算をかけ、障害者や親が安心して学べる環境をつくることではないだろうか。枚方に養護学校をつくれば、ますます枚方の普通学校は障害者が学びにくい環境になっていくことが危惧される。共に学ぶ教育をめざしてきた先輩達の地平を崩してほしくない。
多田羅さん親子の地域で生きるための闘いには、多くを学ばされた。普通高校への入学を実現させることはできなかったが、彼らの10年間の闘いの成果は、次の世代の知的障害をもった中学生の高校進学へと繋がっている。多田羅さん親子が頑張ってきたのは、次の世代のためでもあるのだ。今、離れた大阪の地で何ができるでもないが、彼らの人生をかけた闘いを無駄にしないためにも、障害者と健常者が地域で共に学び、生きていける環境づくりに励みたい。
Posted by ももこ at
16:11
│Comments(8)
2013年05月06日
こどもの日のプレゼント
子どもに日に、こんなステキな情報をいただきました。
mamaが山崎さんのことを知ったのは、20年程前の、日曜日の深夜にテレビで見たドキュメンタリー番組だったそうです。
山崎さんの中学校時代のことが取材されて、裁判のことがドキュメンタリーで放映されていました。
子どもだった山崎さんは信念を曲げず大人になって、そんな子どもたちによって、時代は確かに変わっていっているとmamaは言います。
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今朝、東京新聞見て驚きました!
一面トップで札幌の山崎恵さんのインタビュー記事と写真が掲載されていました。
一昨日から連絡している「憲法と」というシリーズ。憲法の条文について、いろ
んな人のインタビューのもとに、条文を具体的な日常生活に結びつけて解釈して
いるものです。
朝、新聞をつかんで家を飛び出したので、写真を添付します。
明後日くらいにはPDFにして流せると思います。
山崎さんの記事は憲法第26条教育を受ける権利について、ご自身の中学校時代
の体験と裁判にをもとにまとめられています。話の流れが就学先の「選択権」に
なっている点が残念ですが、よく読めば、山崎さんの意図はそこにないのが分か
ります。わかりやすいので、大学の授業で使わせてもらおう。
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◎分けない社会は、分けない教育から!!◎
一木さん
記事は下記ウェブで読めますが、貼付けておきます。山名
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/kenpouto/list/CK2013050502000138.html
(東京新聞1面トップ)
【憲法と、】
第2部 救われた人生<3> 特殊学級 「学ぶ側尊重」法令改正へ
障害者の自立に向けた活動をする山崎恵さん=東京都千代田区で
(岩本旭人撮影)
「山崎は七組」。一九九一年四月、北海道留萌(るもい)市立留萌中学校に入学した山崎恵さん(34)は、教師のひと言でパニック状態になった。一年は六組までしかないはず。どうして…。七組は特殊学級(現在は特別支援学級)で、クラスメートはいない。英・数・国など主要五教科は六組で交流授業を受けられると言われた。
山崎さんは生まれたときに脊髄を痛め、胸から下がまひしていた。移動は車いす。本人も両親も普通学級入りを希望し、市教育委員会は「親の同意なしに特殊学級を設置しない」と約束していた。
「納得がいかない」と、五教科以外も六組に通うことを決意する。入室を禁じられても七組へは行かず、廊下で待った。合唱コンクールも運動会も、六組での参加が認められなければ拒否した。当初、山崎さんをかばっていた生徒たちも教師に同調し始める。二年になると徹底的にいじめられ三年では無視された。それでも、学校では涙を見せなかった。
「周りから『強い』って言われるけど、おかしいことは、おかしいと言い続けただけ」
一年の夏に普通学級入りを求めて裁判を起こす。法廷では「憲法二六条により、普通教育を受ける権利がある。普通学級か特殊学級かの選択権は本人か親にある」と主張した。
三年に進級するころ、裁判官から「裁量権で争いませんか」と持ち掛けられる。両親や弁護士は「どの学級に入れるかの選択権は校長にあるが、山崎さんを特殊学級にした判断は裁量権を逸脱し、間違いだった」と主張すれば勝訴させるというメッセージと受け止めた。
しかし、山崎さんは拒む。学級の選択権は学ぶ側にあるという主張を崩せば「身体障害者は学習能力があるから普通学級で学べるが、知的障害者は特殊学級に振り分ける」というような校長の判断は、裁量権の範囲内と認められるかもしれない。「彼らを切り捨てることはできない」。勝ちを望む両親とぶつかったが、自分を貫き、一、二審とも敗訴した。
山崎さんは定時制高校に進学。教師も同級生も自然に接してくれ、裁判で求めた普通教育を満喫した。大学で一人暮らしも経験し、卒業後はNPO法人で障害者の自立を手助けしている。
山崎さんは普通教育を受ける権利は憲法二六条で保障されていると考えている。自分の裁判では否定されたが、時代とともに変化が生じてきた。二〇〇九年、奈良県の脳性まひの少女が普通中学への進学を教委に拒まれ提訴。裁判所は判決前に入学を認める仮の判断を示し、教委は折れた。文部科学省の中央教育審議会の特別委員会は昨年七月、就学先の決定は「本人・保護者の意見を最大限尊重する」という報告をまとめ、法令の改正作業も始まった。
山崎さんはまだ不十分だと思う。「最終的な選択権が教委や校長にある点は変わっていない。教育って勉強だけじゃない。子どもは、たくさんの人の中で人間関係を学び、自分の立ち位置や役割を知ることができる」
中学の卒業式、山崎さんは記念撮影する六組の脇に車いすを寄せ、一緒に写真に納まった。六組の生徒として載っていない卒業アルバムは受け取らなかったが、実家に残る卒業写真は六組に在籍した証しだ。
憲法にまつわる体験談や思い、この企画へのご意見をお寄せください。Eメールはshakai@tokyo-np.co.jp 手紙は〒100 8505(住所不要)東京新聞社会部憲法取材班。ファクスは03(3595)6917
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02:32
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2013年04月08日
高松市手話通訳市外派遣拒否裁判傍聴
傍聴希望者申し込み案内のメールが届いています。
関係者 各位
いつも大変お世話になっております。
先日、配信いたしました傍聴案内の申込先FAX番号に誤りがありました。
別添の通り修正いたしましたので、再度ご周知下さいますようお願い申し上げます。
また、表題も「第1回公判期日」→「第1回弁論期日」に訂正いたしました。
皆様には、大変ご迷惑をおかけして誠に申し訳ございません。
*************************************
〒761-8074 高松市太田上町405-1
公益社団法人香川県聴覚障害者協会
常務理事 太田 裕之
TEL:087-868-9200 FAX:087-868-9201
MAIL:roua@chosyocenter.com
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傍聴希望者・報告集会参加者募集のお知らせ
原告である池川さん・傍聴者に対する情報保障について約1年間裁判所と協議を重ね、提訴から
1年2か月目にやっと1回目の裁判期日が決定しました。
傍聴者への情報保障としては、手話通訳・要約筆記・磁気ループの設置、盲ろう者のための
通訳場所、車いす席の確保など前進した面もありますが十分とは言えません。
今後の司法場面における情報保障を変えていくためにも皆さん一緒に裁判を傍聴しましょう。
当日報告集会も開きますので集会への参加もよろしくお願いします
尚、傍聴席数には限りがあります。考える会で抽選後申し込み頂いた方にはご連絡いたします。
報告集会には定員はありません。申し込みしていただいた方は当日会場にお越しください。
4月22日(月)のスケジュール
13:30 高松地方裁判所前に集合 池川さんにエールを送ろう!!
14:30~16:00 第1回公判 (高松地方裁判所 6階 第1号法廷)
16:00~16:40 記者会見 (高松センタービル 最上階 大ホール)
17:00~18:00 報告集会 (記者会見と同じ会場)
傍聴希望・集会参加希望等必要事項をお書きの上申し込みをお願いします。
傍聴希望者が多数の場合は、こちらで抽選させていただきます。抽選の結果について、4月15日(月)に申込書記載の連絡先にご連絡いたしますので、悪しからずご了承下さい。
締切:4月10日(水)
申込・問い合わせ先:高松市の手話通訳派遣を考える会
Fax:087(891)1831 メールアドレス:takamatsu-haken@keb.biglobe.ne.jp
申込用紙
傍聴を希望する 申し込む希望の項目に○印を記入してください。両方に参加を希望する方は、両方に○印を記入してください。
報告集会に参加する
お名前
住所
TEL
FAX(メールアドレス)
情報保障(必要なものに全てに○印をつけてください)
手話通訳
要約筆記
磁気ループ
盲ろう者の方は同行の通訳介助者の人数をご記入ください
その他配慮が必要なものがあればご記入ください
車いす席の利用 利用する ・ 利用しない
車いす席をご利用する方は車いすの種類をご記入ください 例)電動車いす
(この個人情報は、今回の傍聴及び報告集会以外には使用致しません。)
傍聴席での注意事項
裁判が始まれば会話・写真撮影は禁止です。携帯電話の電源は必ず切ってください。
4月22日当日は13時30分に裁判所前に集合してください。
裁判所前で池川さんを激励します。
傍聴の有無にかかわらず、多くの方と一緒に池川さんにエールを送りたいと思いますので
皆さんのご協力をよろしくお願いします。
Posted by ももこ at
16:40
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